自分がもらったもの・それをくれた存在

人の欲望というのは計り知れない。
特にお金が絡むことに関しては…

お金によって人間関係が崩れることが多く、
神様に対しても誤解を抱くようになる…

 

一つのたとえ話を先生がしてくださった。(少しアレンジして紹介する。)

切実に「リンゴ」を願い求めていた。
しかし、いつまで経っても自分の願い求めている「リンゴ」を手に入れることはできなかった。
来る日も来る日も「リンゴ」を待ち望み、その思いは天にまで届いた。
その時、一つの声が聞こえた。
「あなたは『リンゴジュース』を飲みながら『リンゴ』を手に入れることをまだ望んでいるのか?」

 

自分が願い求めたものは相応しければくださる。
(冷静に考えてみると、ものすごい話だ…)

しかし、自分が思っている形とは違うことがある。
神様は根本を見て、くださるということだ。

 

例えば、スキルアップのために何かの資格に挑戦しようとしているが、お金がない。
だから経済の祝福をしてくださいと祈り願い求めたとしよう。
その時、ある人が「自分は使わなくなったから譲るよ」と言って資格勉強のためのテキストを譲ってくれ、さらにはカフェで3時間も概要をレクチャーしてくれた。
(こうして神様が人を通して助けてくれた。)
しかし、経済の祝福がないと続けて嘆いた…

 

どれほど気の毒だろうか…

各自、今、自分が様々に求めていることがあるかもしれない。
しかし、よくよく考えてみると、もうすでに神様が根本的な願いを聞いてくださり、叶えてくださっている場合が多い。

 

先生はそんな神様の方法で、自分たちの根本的な願いを省みてくださり叶えてくださる方だ。
目には見えないけれども、言葉では表現なさらないけれども、全部分かって施してくださる。

僕の好きな言葉の一つは「アンサング・ヒーロー」という言葉だ。
歌われない英雄という意。

何も言わないけれども、実は裏では全てを分かってやってくれている。
誰も分かってくれなくても…
称賛されなくても…

そういうアンサング・ヒーローこそが真の英雄だと思う。
先生はそういう生き様だから、英雄という名に相応しいと僕は思う。

 

自分がもらったものについて今一度省みて、
それをくれた存在について正しく認識することを心から願います。

自分を興奮させることだ!

ある人を見てみると、
いつも生き生きとして活力があし、
疲れ知らずというか、エネルギーが満ち溢れているし、
物事を肯定的にとらえて楽しく仕事をしています。

そんな人を見ながら、
あぁ、自分は自分はあんな風に仕事をこなせないなぁ~。
昨日も遅くまで仕事をして、今日も、、、明日もかぁ…
疲れたなぁ~
と落ち込んでしまう人もいます…

 

 

その違いは何かというと、
「興奮してやっている」かどうかということです。

興奮という単語を使うと、
性的なことを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、
興奮とは好きで喜ぶことを言います!

<好きで喜ぶこと>が『興奮』だ。
興奮してこそちゃんとやる。
興奮してこそ希望と感謝と喜びでやる。
ただやったら無理やりにやる。
だから大変で、飽きるし、やってもちゃんとできない。

このように先生は御言葉でコーチをしてくださいました。

先生も冒頭の後者のように仕事にうんざりすることがあったそうです。
しかし、その仕事の目的と意味を再確認したときに興奮してやることができるようになったといいます。

 

なぜその仕事をしているのか?目的を確認すること。
その仕事にはどんな意味があるのか?価値を確認すること。
どのようにその仕事を始めるようになったのか?経緯を思い出して、初心を取り戻してみること。

 

ぜひともこの御言葉を参考に、
自分を興奮させて、
日常の倦怠感、マンネリ感から抜け出して、
目的に向かって邁進するみなさんになることを祈ります。

私も毎日の練習で飽き飽きしますが、
自分を興奮させて、頑張ります!!

練習中の時間の使い方について

最近、選手たちに強く教育していることがあります。
それは練習中の時間の使い方についてです。

野球は「待つ」時間が本当に多いスポーツです。
攻撃の際には自分の打順が来るまで待たなければいけないし、
守備の際には投手・捕手以外には打球が来るまで待たなければいけません。

練習の際も同様に、
ノックの受けるまでに待つ時間があるし、
バッティング練習の時には順番を待つ時間があります。

その「待つ」時間を皆さんはどのように使っているでしょうか?

隙間時間をどう活用していくかという問題です。

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