韓国・平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)についてのプチ情報共有

今月、ついに韓国・平昌で冬季オリンピックが開催される。

「ついに」と付けたのには様々な意味合いがあるが、
一つには韓国・平昌が冬季オリンピックの候補地として決まったのが2011年のこと。
7年の歳月を準備してきたというわけだ。

それから韓国での冬季オリンピックの開催は「初」となる。
アジアでも1972年の札幌、1998年の長野に次いで3度目の開催となる。

先日、ソウル駅に立ち寄ったのだが、
オリンピック会場への案内が大きくされていた。

最寄り駅と競技会場と種目を分かりやすく見せてくれている。
一旦この情報を確保しておけば心配はなさそうだ。

 

また、ソウル駅にはこんなものもあった。

日本からどれくらいの人が訪れるか分からないけれども、
2018年の韓国・平昌、2020年の日本・東京、2022年の中国・北京とアジア開催のオリンピックが続いていく中で、
スポーツが持つ意味を国民のみなさんが考えるきっかけになったらいいなぁと思うし、

同時に、スポーツが真に目指していくところは一体どこなのか?
我々の文化・生活と密接にかかわるスポーツという存在をどのような位置で捉えて接していったら良いのか?
根本的な問いかけに迫る機会にいいなぁと思う。

 

一度は会場に足を運びたいなぁと思っているが、どうなることやら…
野球の冬連は選手にとっても地獄だが、指導者にとっても…

辛い時、苦しい時に歯を食いしばることも大切だが…

スポーツ選手の気質、中でも、特に、「辛い時、苦しい時に歯を食いしばること」は形容のしようがないほどに素晴らしく美しいです。

その気質によって数々の困難艱難を乗り越えて打ち勝って、
人々の心を感動させる大舞台での活躍をして遂げるスポーツ選手・アスリートたちには頭が上がりません。

そういう自分もそのように努力してきたし、
今現在も指導者として辛く苦しいことも歯を食いしばって耐えて打ち勝っています。

 

しかし、それでは心情の限界を迎えることを知るようになりました。

 

人は努力したことに対して何らかの報いがあるときに虚しくありません。
でもその努力に相当する報いがない時、一番辛く、苦しく、心情のやり場がなくなります。

命を懸けて努力したとしても、そのすべてが報いられることはこの世の中では正直少ないし、
打ち勝った結果、残るものがないと、本当に極度の心情の苦痛を味わいます。

 

だから、大切なことは、その心情を真に分かつ「相手」を見つけることです。

 

誰にも話すことのできない胸の内を真に分かつことのできる「相手」はいるのか?

(これは僕の永遠なテーマだと思ってきました。)

 

 

先生はあるとき、
衝撃と苦痛があったけれども、堅固にやるべきことをやったそうです。
そして、「私は誰が慰めてくれるだろう?」と考えたそうです。

みなさんにもそういう時があると思います。

その時、<大きい手>が「私の手首」をぎゅっと握っている幻を見たそうです。
それは神様の手でした…

 

たくさんのモノを抱えているスポーツ選手たち。
どんなに強い選手でも慰めが必要な時があります。
そんなとき、手を取ってくださり、慰めてくださり助けてくださるのが神様だと教えてくださいました。

命懸けで自分の夢・目標に向かうみなさんの手を取ってくださる神様。
先生が教えてくださったことは、「対話をしてみなさい」ということ。
自分のことを素直に神様に話してみること。

辛い時、苦しい時に歯を食いしばることも大切だけれども、
誰にも言えない胸の内を神様に話してみてはどうでしょうか?^^

 

目標とする指導者像

指導者のみなさんには、
目標とする指導者像があるでしょうか?

人は、結局、力を持つようになるとその力をふるうし、仕えられることを甲斐にしてしまう…
そんな本当に恐ろしい心理があります。
自分が力を持つようになると自分もそうなるのではないかと正直不安です…

 

聖書の御言葉を通してハッとさせられました。

マタイによる福音書20章 25~28節
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。
あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、
あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。
それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。

 

先生には多くの人たちがついていっています。
だから、正直、権力をふるっているんじゃないか?なんていう目で見てもおかしくはないかもしれません。

でも、先生はいつも仕える立場にいらっしゃいます。
食事も分けてくださり、
間食も渡してくださり、
仕事があれば一番率先してやり、
先に気遣ってお疲れ様と声をかけてくださり…

僕も、先生のように、いつも仕える指導者を目標にして、
これから一層仕えることに挑戦していきたいと思います!