一つのことだけを考えるな

昨日、試合に向かう道中に書いた文章をあげましたが、
帰途でも短く書いた文章があるのであげたいと思います。

 

試合が終わってからバスに乗り込んで5時間が経過していた。
観光地の活性化のために野球大会を誘致するというアイディアは素晴らしいとは思ったが、
こんなにもひどい渋滞に巻き込まれるとは…頭が痛い…

過去に夜行バスは何度か乗ったことはあるが、
試合後の疲労感に加え、密の中で数時間も耐え忍ばなければならないストレスは試合以上かもしれない…

 

何かをするときには、そのことによって何か他に問題が起こらないか考えること、
一つのことだけを考えるな、と先生はコーチしてくださいましたが、
まさにそういう事態に直面したのでした。

試合が終わってバスに乗り込んだのが16時30分ごろでしたが、
帰ってきて我が室内練習場の時計を見たら…
24時30分…
渋滞に巻き込まれ、およそ8時間かかりました…

さすがに帰りの渋滞を想定して対策を取ることにまで頭が回っていませんでした…

 

指導者はリスクマネージメントの能力も兼ね備えていないといけないと思いますが、
いつも最悪の事態を考え、備えて行動することが要求されます。

先生のコーチのように、一つのことだけを考えていないのか、いつも省みながら行動することで、
リスクを回避していくことが大切です。

今回は「宿泊」という選択肢もありましたが、
経済的な面で極力節約しようという一つのことだけを考えて動いてしまったことが問題でした…

 

目の前で起こる一つ一つの出来事を通して教訓を得、学ぶ日々の連続です…

試合会場に向かう途中…

皆さん、ご無沙汰しております。
歳月が流れるのがとても速く、前回の記事を更新してからふた月が経ってしまいました。
コロナの中で日々の仕事と格闘するすべての方々にエールを送ります。

さて、先日16日に片道4時間半かかる所まで試合に行ってきました。
その移動途中で綴った文章をあげたいと思います。

今日は片道約4時間半かかるという。
日本で言うならば、名古屋~東京間だろうか…
野球の試合のためにそんな遠い距離を移動するのは中学生の時以来だ。

「戦い」
その中には長距離移動の苦痛との戦いも含まれている。
長時間狭い密な空間の中でコンディションを整えることは決して易しいことではない。

 

今、朝食のキンパブ(김밥)が配られた。

食べて飲めばトイレの問題がある。
食べて飲まなければ力が出ない。

 

神経質になるな、とは言うが
様々に神経を使ってこそ上手くいくと思う。

 

今、バスが警察に止められた。
追い越し車線をずっと走っており他の交通の妨げになったと…

 

やはり様々に神経を使うべきだ、という啓示だろうか。

 

今日の試合、選手たちは上手くやるだろうか…

 

何か一つのことで成功しようと思うならば、命を懸け、人生を懸けるくらいの気概がないといけないと思う。
何を成功とするかはさておき、少なくとも他人よりも秀でようとするならば、並大抵の労苦では叶わない。
特にスポーツの世界では、記録ではなく相手との勝負の場合には特に、その労苦を言葉では表現し難いだろう。

今回は試合をしに行くだけでも本当に苦労しました。
プロの選手たちはアウェイグランドまで移動するのに苦労すると聞きますが、
やはり運動選手にとって長時間じっとしていることは苦痛以外の何物でもないでしょう。

コロナによって様々な動きに制限がかかる今この時の苦しみが一層身に染みる時間でした…

 

何かをすれば必ず何かの問題が起こるのですが、
その時にどう対処し、どう乗り越えていくのかが重要です。
また、問題が起こらないように未然に、前もって対処しておくことが真の知恵者です。

今回の経験を糧に指導者として一層成長していきたいと思います。

野球・甲子園と人生

今週、待ちに待った連盟からの公示が出た。

「練習試合許可」
「6月18日より大会開催決定」

2月後半から練習自粛・個人練習を経てやってきたが、
この約3カ月間は先の見えない真っ暗なトンネルの中にいたようだった。

そうして今週、試合許可の公示を耳にした時には、
真っ暗なトンネルの出口の光を見たかのようだった。

一方、日本では夏の風物詩と言える全国高校野球大会・甲子園が中止になってしまい、
高校球児の心中を察すると胸が張り裂けそうな思いになる。

目標や夢を自分の努力以外の要因で達成することができなかったことほどもどかしいことはなく、
言葉にならず、どこにもぶつけることのできない感情のやり場を探すことになったのではないだろうか。

しかし、そんな時こそ、根本を考えないといけないのではないか。
野球・甲子園というものが自分の人生にとって一体何なのか?と。

 

私も高2の夏の甲子園を奪われ、高3の春の甲子園の出場機会がなくなった経験がある。
当時はあまり深いことは考えず、最後の高3の夏の甲子園に向けて頑張れば良いと気持ちを切り替えた覚えがある。

高3の夏は地方大会で負け、甲子園出場の夢・目標を達成できなかったのだが、
その時にもやはり、次のステージで野球をどのように続けていくのか?ということしか考えなかった。

自分の考えの枠は野球という枠の中から抜け出せなかったのだ。

 

「野球のための人生ではなく、人生のための野球だ」

この言葉は誰もが一度は耳にしたことがあると思う。
しかし、本当にそう思って野球をしている人がどれくらいいるだろうか?
もっと突き詰めて、人生とは何なのかを分かった上で野球をしている人がどれくらいいるのだろうか?

野球界の先輩方が築き上げてきた甲子園大会100年という伝統を否定するつもりはさらさらない。

たくさんの名将と呼ばれる指導者やプロ野球選手が輩出されてきたことを見ても、
甲子園というモノが野球界に大きな影響を及ぼしてきたことは間違いない。

だからこそ、大きな影響を及ぼすモノだからこそ、
そのモノに対する、接する観が間違ってしまえば大変なことになる。

 

甲子園というモノがまるで自分の人生のすべてになっていないだろうか…

選手のみならず、指導者の方々も含めて..

歴史は消すことはできない。
しかし、これまでの歴史を教訓にして新しい歴史を作っていくことはできる!

もちろんその一員として私も立ち上がりたい。
まずはこの文章を通して野球に携わる人たちが野球・甲子園というモノに対する観を振り返り、
自分の人生を今一度考える契機になれば幸いだ。