機会に備えて

過ぎた日を振り返ってみると、
「あの時にもっとこうしておけば良かった…」と後悔することがある。

機会は瞬間過ぎ去っていくということに気が付いた時にはもうその機会は過ぎ去っている…

先生は瞬間の機会を逃すなと歌の歌詞に入れるほどに、瞬間の機会を掴むことを強調される。

 

「今この時にできなければできない」と考えて、
毎日毎日練習するならばどれほど上手くなるだろうか。

 

昨日、いきなり大会開催の公示を受け取った。
いきなりすぎる、来週の月曜日から初戦が始まることになった。

しかし、私は選手たちにいつも教育してきたので慌てふためくことはなかった。
「今日、試合だと思って練習しよう。」
毎日の練習を試合と同じくプレーすることは易しいことではないが、
毎日、耳にタコができるほどに、口酸っぱく教育してきたため、選手たちも慌てふためくことはなかった。

 

いつ来るか分からない、でも必ず来る機会にいつも備えていること。
準備できている人はもうすでにスタートを切っているようなもの。
ミリミリ(韓国語で「前もって」の意)行なう先生の哲学を胸に刻まないといけない。

 

試合まで残り6日となったが、すべき準備を抜かりなくして臨みたいと思う。

アクティブレスト~連休中の過ごし方~

アクティブレストという言葉を聞いたことがあるだろうか?

日本語では積極的休養と訳されるが、
「休む」という場合に何もせずにただ横になって休むのではなく、
身体を適度に動かして疲労回復を促すことを言う。

アスリートにとって、練習をすること、食事をすること、休むことの3つがとても重要となる。
どのような練習をするのか、どのような食事をするのか、悩み、考え、より良くしようと努力する人たちは多いと思う。
しかし、どのように休むかについて、どれくらい考え、研究しているだろうか?

何も考えずにただ休みだからと言って休んでしまえば、
感覚を取り戻すために多くの時間が必要になることを多くの人たちは経験済だろう…
休まず勤勉に努力してオーバーワークになった経験も多くあるだろう…

 

どう休んだらよいのか?
我がチームの例を紹介したい。

我がチームでは宿題として連休中に毎日欠かさずすべきメニュー3つを選手たちに課した。

1、シャドウピッチング100回
2、素振り100回
3、縄跳び1000回
(対象は小学生)

昨日、5連休明けの練習を迎えたのだが、
その練習の様子はどうだったか…

驚くことに選手たちの動きは全く鈍っていなかった!
皆、熱心に宿題に取り組んだのだと思われる。

3つのメニューを消化するのに1時間弱あれば十分。
一日1時間程度の自主練習ならばアクティブレストと言えると思うが、
その効果をものすごく実感した。(文章では伝えるのに限界があるが…)

休む時、どう過ごすのかについて、選手たちに完全に任せてしまうことも出来る。
しかし、ノルマを課して選手を管理することも重要だと私個人的には思う。

アクティブレストという言葉も知らない高校時代、1週間の連休明けに全くボールが手につかず、ストライクが入らなかったことを思い出す。
全く何もしなかった訳ではないが、毎日毎日積み上げて来たモノ・その感覚は、計画性のない休息によって消えてしまった…

そんな苦い経験を選手たちにはしてほしくない、というのが本心だ…

 

連休ではないにしても1日、2日の休日をどのように過ごしたらよいか分からない選手も多いかと思う。

仮に、試合が重り疲労困憊だと感じるような場合であったとしても、
最低限ランニングだけをするのとしないのとでは疲れのとれ具合が全く違う。

(もちろんオーバーワークならば何もせずに完全休養が必要となるのでケースバイケースだが…)

自分自身に合った休み方を模索し自分のパフォーマンスの維持向上に努めてほしい。

走・攻・守の3拍子が揃うように、練習・食事・休養の3拍子を揃えていくことを願う。

連休に綴る

韓国では旧暦に従い、連休を迎えた。
私は家族と共に山地のホテルに滞在した。

 

明け方、小雨によって山には霧がかかっていた。
幻想的な、絵になる風景だった。

山は青々としており、まだまだ秋の訪れを感じさせない景色だったが、
気温は少し肌寒く、冬の知らせを告げるかのようだった…

よくよく見てみると、山が青々としているのは、
まだ紅葉を迎えていないというだけの理由ではなく、常緑樹だからではないか!!

 

年中青々としており、その変わらない姿が好きだという先生の心情がしみじみと感じられた…

 

時代は移り変わっていく…
コロナによってさらに急速に変化を迫られているこの世の中…

しかし、「いつどんな時でも変わらない」という安堵感を求めるのが人の心理であろう…
そんな安堵感を得られれば間違いなく不安な心は平安になっていくだろう…

中秋節(日本でいうお盆)のような連休には故郷を訪ねる人たちが多い。
結婚して家を離れたとしても、いつになっても、変わらずに帰ることのできる“場”があるというはどれほど幸せなことだろうか…
そのような“場”を作っていけたらどれほど良いだろうか…

ホテルの窓から霧のかかった山を眺めながら綴った。