いつも命の危険と隣り合わせ

野球をしながら、「いつも命の危険と隣り合わせ」だということを感じる…
硬いボールが胸部や頭部に直撃すれば、命を落としかねない…

毎日毎日、練習の前には必ず切に祈る。
「今日も事故や怪我がないようにしてください」と。

 

練習中、気が緩んだ不図した瞬間、命の危険が忍び寄ってくる…
昨日も、ファールボールが選手の頭部をかすった…

小学生でも真芯で捉えた打球は130-140km/hにもなる。
練習中に気が緩むようなことがあれば、どんなことよりも厳しく教育するようにしている。

 

実際に野球をしながら命を落としたケースがある。
脅すわけではないが、命の危険と隣り合わせだということを知っておかなければ、悲しい思いをすることになる。

工事現場でも、建築が第一ではなく、安全第一。
教育現場でも、成績が第一ではなく、命が第一。

 

今週、過ぎた日に神様がしてくださったことを忘れるなと教えてくださった。
これまで自分の命を神様が守ってくださったからこそ、今ここに自分が存在する。

命のために祈る先生と共に、野球界で命を落とす事故が起こらないことを切に祈る。

野球ノートの活用~過ぎた日を思い出せ!~

人の記憶というものは非常に曖昧だ。
過ぎた日のことを考え、思い出そうとしてもなかなか上手くいくものではない…

しかし、記録というものは非常に正確だ。
いつどこで誰が何をしたか、そして、その時自分はどうだったのか、記録を見れば分かる。

選手たちには絶えずメモを残すように教育している。
野球ノートを作って日々学んだことや指導を受けたことなどを書き込んでおけば、たとえ忘れたとしても、見返せば思い出すことができるからだ。

なぜ過ぎた日のことを忘れるなとおっしゃったのか?
過ぎた日に犯した間違いを再び同じようにしてしまうからだ。
これが一番恐ろしいことだ。

負けて悔しい思いをした。
また同じようにミスをして負けたらどれほど悔しいだろうか?

伝道の書3章15節
今あるものは、すでにあったものである。後にあるものも、すでにあったものである。神は追いやられたものを尋ね求められる。

すでにあったもの、すなわち、過ぎた日のことを忘れなければ、現在どのように処したら良いのか分かるということだ。

初めて優勝した時のことだ。
その時までに優勝を3度逃していた。
決勝で涙を飲んだことに対して先生は「準優勝は優勝の条件になる」とおっしゃってくださった。
その言葉を胸に4度目の決勝に臨んだ。
過去3度の決勝での戦いが思い出された。
カウントを取りに行く球が甘く入ってホームランを打たれた過ぎた日を思い、初球から厳しく攻めた。
最終回に勝負を急いで逆転された過ぎた日を思い、最終回には慌てずにボール球を有効に使って攻めた。
過ぎた日を忘れずに行なった結果、優勝を掴むことができたのだった!

全て野球ノートに記録しておいたがゆえに、過ぎた日を思い返して試合に臨むことができたのだ。
記憶よりも記録だ。

野球ノートを活用して、記録に残し、過ぎた日を忘れないようにすることを願う。

アスリート・スポーツ選手の信仰生活~休養日に礼拝を捧げ、御言葉を聞く理由~

アスリート・スポーツ選手たちは競技生活の中で多くのストレスを受けている。
日々の戦いの中で疲労も蓄積されていく。
ゆえに休養が絶対的に必要だ。

特にプロ選手たちは競技に自分の生活が懸かっているため、そのストレスは想像を絶するほど大きいものだ。
休養日にはストレス解消のために自分の好きなことをし、蓄積した疲労をとるためにすべてのことを横において身体を休めることに専念したいというのが本音だろう…

私もそのようなアスリート・スポーツ選手のうちの一人だ。(私は指導者という役割・立場であるのだが…)
ここ一カ月は週に1度の休養日のみ、残りはすべて野球に打ち込む日々だった。しかも1日平均7時間…
さらに、その休養日には主日礼拝を捧げたため、ここ一カ月は休むことはできなかった…

正直、休養日に礼拝を捧げ、長時間の御言葉を聞き、消化するのには労力がいる。
身体の疲労感と倦怠感によって、苦しくなったことは多々あった。

しかし、私は、信仰生活を始めて以来、信仰を辞めてしまおう、捨ててしまおうと思ったことはない。
信仰を持ち続け、休養日に礼拝を捧げ、御言葉を聞くことには理由がある。
労苦したその分だけ得られるものがあるからだ!いや、苦労したよりも得られるものがあるからだ!!

今日、過ぎた日を考えなさいと御言葉で教えてくださった。
過ぎた日を考えてみると、信仰生活を始めて以来、本当に多くのものを得たことを思い出す。
お祈りをし、そのお祈りの通りに叶えてくださったことがあまりにも多い。
神様の存在を認めざるを得ない。
御言葉で人生どのように生きるのかを教えてもらい、競技でどのようにすればよいのかコーチを受けることができた!

今現在、自分が神様を信じず、御言葉を聞かず、信仰を持たずに生きていたらどうなっていたかは分からないが、今より勝った人生は送ることはできなかったと思う。

信仰を持っていようがいまいが、生きていれば喜怒哀楽、楽しいこともあれば辛いこともある。
春夏秋冬、季節が変わるように、状況環境が変わる。
そして、自分の心もころころ変わる。
そんな自分の心を掴んでここまで生きて来られたのは信仰のおかげだった。
御言葉が羅針盤となったため、人生という航海でさまようことはなかった。

辛い時、苦しい時、過ぎた日を考え、今後も競技生活で勝利を収めていきたい。