ソフトボール大会に出場して得た教訓

先日、ソフトボール大会に出場した。
自身がプレイヤーとして大会に出場するのは約10年ぶりのことだった。
スケジュールの関係で、1日3試合を消化することになった。
トリプルヘッダーのフル出場は初めて経験だった。
試合結果は2勝1敗。
チームへの貢献度は70点(自己評価)。
最後の試合はサヨナラ負けだったが、悔いは全く残らなかった。
さて、今大会を通じて、私は深い教訓を得た。
それは「自分の実力以上のモノは出ない」ということだ。
当たり前のことだと思われるかもしれない。
しかし、人は試合で頑張ろうとする。
自分の力以上の働きをしようとする。
自分の実力以上に上手くやろうとする。
ゆえに、緊張するのだ、と分かった。
自分の実力を発揮することで勝負に挑む。
この姿勢が変な気負いをしない秘訣だろう。
練習によって実力を蓄えること。
それが上に行く唯一無二の道。
勝負の世界は実力対実力の世界。
まずは実力、そして天の運だろう。
天の運にばかりしがみつくのはどうかと思う。
自分ができる限りのことをして臨むとき、これ以上出来ないほどに責任を果たすとき、その時に初めて天の運が加われば、頂上にいけるということだと私は思っている。
「天に栄光、地に平和」
今回の大会は本当に平和がなされたと感じた。
プレーの一つひとつが神様に向かうモノになったとき、咎めあうこともなければ、争いが起きることもない。
運動芸術も神様が人間にくださったプレゼントだとチョンミョンソク牧師は教えてくださったが、そのプレゼントという表現にふさわしく、こんなにも楽しく没頭できるモノは他にないと思う。
しかし、その没頭が時に互いが分かれ争う原因となることがある。
天に栄光を帰すことを忘れる時、地が平和とはかけ離れた世界になっていく。
今大会を通じてメンバー皆が天に栄光を帰すことで実現した平和な大会。
今後も「天に栄光、地に平和」の主人公になれるよう励んでいきたい。

野球の練習も仕事も様々なことも負担にならない方法

今週の御言葉のキーワードは「負担」であった。
御言葉を一度だけ聞いて、聞き流してしまうと、その深い意を察することができない。
「負担」という普段使い慣れた単語の意味をもう一度確認することにする。

【負担】
1 荷物を肩や背にかつぐこと。また、その荷物。
2 義務・責任などを引き受けること。また、その義務・責任など。「費用は全員で—する」
3 力量を超えて重すぎる仕事や責任。重荷。「—にならない程度の寄付」
デジタル大辞泉より

今現在、自分自身の生活を省みた時、負担になっていることがあるだろうか?
野球の練習を負担に感じていることがあるかもしれない。
負担に感じるならばその方法を今一度考え直すべきだろう。

今週、野球の夏合宿に同行させていただいた。
その中で選手たちの姿を見て考えさせられた。
ボールを集める時のこと。
ボールが散らばっているところにボールケースを持って行って入れれば良いのだが、ボールをグローブに入れてボールケースまで持っていき、何往復もする選手の姿を見た。
また、ボールケースを片付ける際、ボールケースの両端の取っ手を両手で持てばいいのだが、グローブをはめた状態で、片手でボールケースを持ち運んでいる選手の姿を見た。

負担になる方法でやるから負担に思うのだ。
簡単にやれる方法が他にあるはずだ。
野球の練習や仕事や様々なことをやる際、負担に感じることがあるならば、負担にならない方法を探してみると良いだろう。
今まで負担に感じていたことがウソだったかのように簡単に出来るだろう。

仕事を任せると、あまりに度が過ぎるほど、負担になるやり方でする人たちがいます。
必要なく度が過ぎるほどやるから、むしろ損をします。
よくできる人たちは簡単にやります。
だから見ていて胸がすっきりし、気分がよく、負担になりません。
2022年7月24日主日の御言葉より

聖書の御言葉に根拠をおく「走・攻・守が揃ったチームは強い」という理

聖書の御言葉には私たちが生きていく上で必要な知恵・知識がたくさん詰まっている。
こと野球においても同様、野球に必要な知恵・知識を聖書の御言葉から学ぶことができる。

今週の御言葉の本文である『伝道の書』の4章の一節を見てみると、

伝道の書4章12節
人がもし、そのひとりを攻め撃ったなら、ふたりで、それに当るであろう。三つよりの綱はたやすくは切れない。

と書いてある。
綱を見てみると、大抵の場合、一本では構成されていない。
必ず二つより、三つよりになっている。
1人よりも2人、2人よりも3人の方が出来ることが多くなるのは火を見るよりも明らかだろう。

さて、野球における三つよりの綱とは何だろうか?
「走・攻・守」だ。
この三つが揃っていれば強いチーム、良い選手と言えるだろう。
このうちの一つが欠けていたり、あるいは一つしか兼ね備えていないとすれば、強いチーム、良い選手とは評価しがたいだろう。

野球はチームスポーツだ。
一人の選手が全てを兼ね備えていなくても、チームとして、9人全員を総合してみる時に「走・攻・守」が揃っていれば良いのだ。

また、三者が一つになるということを考えてみると、「監督・コーチ・選手」が三つよりの綱になって、一つになっているチームは強い。
監督・コーチ・選手がバラバラになっているチームは勝ち抜くことが難しいだろう。

今、各地で夏の甲子園を目指して戦いが繰り広げられている。
三つよりの綱という聖書の御言葉の理を持って各チームを観察しながら観戦するとまた一つ面白味が増えるだろう。