摂理スポーツで実践!~憎しみ・争いのない平和な世界へ~

憎しみ・争いのない平和な世界を実現するためにはどうすればよいでしょうか??

 

 

箴言10章12節

 

憎しみは、争いを起し、

 

愛はすべてのとがをおおう。

 

コリント人への第一の手紙13章4節

 

愛は寛容であり、愛は情深い。

 

また、ねたむことをしない。

 

愛は高ぶらない、誇らない。

 

まず自分が愛を備えた人になることですね☆

 

 

摂理のスポーツは決して相手を憎むことはしません。

ミスをすることがあっても寛容に接します。

咎めるのではなく、次にどのようにすればうまくいくのかを考えます。

 

スポーツをしていると自分が出てきます。

ついつい相手を憎んでしまったり、ミスを咎めて怒ってしまったり…

でも、そんな時がチャンスです!

悪い自分が出てきた時に、自分のことを認めて直すんです!!

鄭明析牧師は「自分を磨くことは難しい」とおっしゃりながらも、それでも続けてやればできる!と叱咤激励してくださいます☆

憎しみ・争いのない平和な世界を実現させるために、ぜひとも摂理のスポーツを通して自分を磨いてください!!

 

 

 

 

p.s.

僕自身も摂理のスポーツで自分を磨いています。

愛溢れる人になりたい!!

摂理からの叫び~平和スポーツ実現のカギは野次撲滅だ!~

スポーツをしていた方であるならば野次られた経験があるのではないでしょうか?

また、野次られたらから悔しくて野次り返してコテンパンにやっつけてしまった、というような経験をお持ちの方もいるかもしれません。

僕もひどく野次られたこともありましたし、僕自身もかつて幼かった頃には野次っていた事実を認めます。。。

 

それではいけないということをハッキリと摂理で教えていただき、スポーツの根本の在り方に気づくことができるようになったのは本当に感謝すべきことです。

 

聖書の一節を紹介します。

エペソ人への手紙4章29節

 

悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。

 

必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、

 

聞いている者の益になるようにしなさい。

言葉によって、人に傷を与えてしまうこともあるし、また人の一生の悩みを解決することもあります。

 

「悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。」という戒めはスポーツをしている方にぜひとも覚えていただきたいです!

この一節を覚えてプレーしたならば、もっとフィールドでお互いの健闘を讃えあうプレーが続出すると思います!

 

指導者の方々には「人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。」という戒めをぜひとも覚えて子どもたちの指導に当たっていただきたいです。

スポーツを通じて人徳を養うことを可能にするのは指導者の言葉だと言っても過言ではないと思います!

 

 

さて、野次られて心地よい人はどこにもいないでしょう。

しかし、野次られる場合があるでしょう。

そのような場合にどのようにしたらよいのか、鄭明析牧師は以下のようにコーチしてくださいました!!

笑顔で通り過ぎる。

これは最強ですね!

このように野次に勝利していきましょう!

 

 

野球に関して、少年野球においても野次っている光景を目にします…

悲しい現実です…

エスカレートしているチームだと、相手のみならず自分たちのチームメートにまで罵声を浴びせています…

 

野球をやっている子どもたち、また多くの方々、一度立ち止まって野次について真摯に考えてみてほしいです。

 

 

以前「矜持」について記事を書きましたが、野球人としての矜持は「人格を備えていること」だと僕は思います。

20141222-1-2_Ja

<言葉と行動>は「人格」を現す。

 

<言葉と行動>を見れば、<自分の人格>を隠せない。

 

言葉と行動を点検!

野次撲滅!

 

 

平和スポーツの実現は“あなた”のその言葉と行動にかかっています。

 

 

 

 

以上、「摂理からの叫び~平和スポーツ実現のカギは野次撲滅だ!~」でした☆

体罰問題

体罰問題について書こうと思ってニュース記事を検索してみたら、早速衝撃的な記事が目に飛び込んで来ました。

 

教師の体罰、4000人処分=わいせつ行為最多に―文科省調査

 

文部科学省は30日、2013年度に全国の公立学校で、児童・生徒に体罰を加えたとして教職員3953人が懲戒免職や訓告などの処分を受けたと発表した。12年度より1700人増えた。体を触るなど子どもにわいせつ行為をして処分された教職員は初めて200人を超え、ともに過去最多になった。(時事通信)

 

みなさんはこれを読んでどう思われるでしょうか・・・

 

お父さん、お母さんに話を聞いてみると、「昔は学校の先生が手を上げるのは日常茶飯事だった」とのことでした。

自分たちがされたことをそのまましてしまっているのでしょうか・・・

 

 

学校の部活では、暴力はなかったとしても、先輩後輩の上下関係の中でよくない風習があると思われます。

それが先輩から後輩へと負のスパイラルで残っていく・・・

 

 

どこかで誰かが断ち切らないといけません!!

 

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マタイによる福音書22章38~39節

 

イエスは言われた、

 

「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。

 

これがいちばん大切な、第一のいましめである。

 

第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。

 

子どもたちを愛することが答えです。

後輩たちを自分のように思って愛することが答えです。

 

愛とはどのようなものか?

コリント人への第一の手紙13章1~8節

 

たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、

 

もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。

 

たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、

 

また、山を移すほどの強い信仰があっても、

 

もし愛がなければ、わたしは無に等しい。

 

たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、

 

また、自分のからだを焼かれるために渡しても、

 

もし愛がなければ、いっさいは無益である。

 

愛は寛容であり、愛は情深い。

 

また、ねたむことをしない。

 

愛は高ぶらない、誇らない。

 

不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。

 

不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

 

そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

 

愛はいつまでも絶えることがない。・・・

 

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子どもたちの指導に思い悩む教職員の方々の気持ち、痛いほど分かります・・・

 

しかし、

 

暴力指導によって子どもたちの体は傷つき、一生消えない心の傷までも負わせることになります・・・

 

鄭明析牧師の御言葉・箴言

 

あなたは体をたたかずに心をたたきなさい。

 

その人の門は心だ。

 

あなたはこぶしや足を使って力任せに騒がしく門をたたくな。

 

密かに、かすかに、トントンとリズムに合わせてたたきなさい。

 

聞く者が喜んで、さっそく門を開けてくれるだろう。

 

愛の言葉で子どもたちの心の門をノックしてあげてください!

愛の言葉がどのようなものなのか、分からないという方は聖書を読んでみてください!

摂理の御言葉を学んでみてください!