野球の練習中に神様が助けてくださって大事故に至らなかった経緯

野球コーチである私は練習の前に必ず神様に祈りを捧げている。
「今日も事故・ケガがないように守ってください」と。

そして、この祈りを神様は聞いてくださり、守ってくださって、大きな事故やケガ無く野球をすることが出来ている。
神様に心から感謝を捧げたい。

事故がなく、ケガがないことは決して小さいことではない。
数万のアクシデントに見舞われ、戦線離脱し、時には命までも落とす場合があるからだ…

先日、大事故に至りそうな出来事があった。

ノックをしている最中のことだった。
ノックで捕球したボールは送球する格好だけをして送球はしないように選手たちに指示をしていた。
私はノッカーとして、テンポよく選手がノックを受けることが出来るようにするため、捕球したのを確認したらすぐに次のボールを取るために選手から目を切っていた。
リズムに乗ってきて、テンポよくノックを進行しながら「よし、この調子だ!」と思って次のボールをかごから取ろうとした。

その瞬間…

顔面にもの凄い衝撃が走った…

捕球だけのはずだったが…
選手が過ってボールを投げ、そのボールが私の顔面に当たったのだ…

痛すぎて涙が出た…

どうやら左目と鼻の間の辺りに直撃したようだ…

私は必死に痛みをこらえてノックを打ち続けた。
ノックを受けていた選手はまだ幼なかったため、ショックを与えないようにと、必死で平気を装った。
練習が終わってからも「何もなってないから大丈夫だ、気にするな!」と幼い選手に声をかけて帰した。
幼い選手が何かトラウマに陥らないことを心から願った。

 

私は意図してそう振る舞ったわけではなく、神様がそのようにしてくださったことだったと回想する。

チョンミョンソク牧師が新入生を迎えてバレーボールをされた時のエピソードを思い出した。
新入生が打った強烈なスパイクがダイレクトでチョンミョンソク牧師の頭部に当たったことがあった。
その時、チョンミョンソク牧師はどうされたのか。
憤ることなく、その新入生にも大丈夫だと言って何も無かったかのように過ごされた。

強烈なスパイクがダイレクトで頭部に当たった場合、正直、平気を装うことは不可能だ。
瞬間霊感が来て、ぐっと力を入れて構えたといったようなことをおっしゃっていたが、果たして平気だろうか…

 

今回の出来事の後に、チョンミョンソク牧師の神的対応が思い出されて、チョンミョンソク牧師がなぜそのようにされたのかを深く悟る機会となった。

 

後日、一応検査をしに病院へ向かった。
レントゲンで見てもらったのだが、骨に以上なし!
神様が練習前の祈りを聞いてくださって守ってくださったのだ!
ハレルヤ!

 

野球は一歩間違うと命に関わる事故が起こる可能性のあるスポーツだ。
天下を与えても代えることのできない命が絶対に野球の事故によって奪われないことを祈り、また祈る。
そして、野球に関わるすべての人たちが神様に祈りを捧げて野球を始めることを願う。

野球選手がこれだけは絶対に心得たい聖書の言葉

今日は野球選手がこれだけは絶対に心得たい聖書の言葉を紹介しようと思う。

聖書のことや神様のことを知らない野球選手たちにも、必ず知ってほしい一節!

 

テモテへの第二の手紙2章5節
また、競技をするにしても、規定に従って競技をしなければ、栄冠は得られない。

 

なんだ、当たり前のことじゃないかと思える選手は素晴らしい人格の持ち主だ!

規定、すなわちルールに従って競技をすることは、実は、当たり前のことではないのが現状…

また、競技の規定は守れるのに、世のルールを守れない選手がいることも事実…

 

野球界で世を騒がせるニュースが出続ける現状に胸が痛む…

先日も某高校の監督が暴力を毎日のように振るい、選手は学校を辞めたい、自殺するかもしれないと言うまでの事態が起こったというニュースを目にした…

競技で培った「規定を守る」という人格を私生活においても発揮すればどれほど良いだろうか…

 

「規定に従って競技をしなければ、栄冠は得られない」

野球のみならず私生活もそうだと戒めたい…

運動会で総合優勝!

先日、運動会に高校ぶりに参加した。
ソフトボーール大会に続き、十数年ぶりだった。

運動会の各種目がある中、私は大縄跳びの縄回し役を任された。
中学の時に命懸けで練習したことを思い出した。
縄の回し方は身体が覚えていた。
しかし、体力は不十分だった…
5分間の競技時間の中、ラスト1分のコールがかかった時にはもう全てを使い果たしていた…
その時、切実に神様を呼び求めた。
絶対に最後までやり遂げるんだという強い気持ちで、ちぎれそうな肩と腕を回した。
最後の最後に30回跳ぶことに成功!
6チームの中で30回を超えたのは自チームだけであった!

『神様が共にしてくださることがシルシだ』

そして、自チームは総合優勝を果たした。
「優勝は神様がくださるプレゼントだ」ということを証したい。
もし大繩で30回跳べていなかったならば…
もちろん努力の結晶体であるが、頂点に立つための要素は天の力が無ければ不可能だと思う。
様々な競技やスポーツを見てもそう思う。