コロナと共に生きる野球人

コロナが世界中に蔓延する今この時、
本当に「苦しい」ひと時を過ごしている…

雨の日も、風の日も、コロナだって関係ない、
毎日毎日汗を流し、努力し、また努力し、また努力する野球人のもがきを徒然なるままに綴る…

試合という場が無いということがどれほど苦しいか…
コロナという病を恨むわけにもいかない…

コロナに加え、豪雨が襲った…
河川は増水し、河川敷にあったグランドの土は流され流木と石だけが残った…

暗礁に乗り上げるとはこういうことを言うのだろう…

しかし、それでも歩みは止めなかった!
ひたすら練習を続けた!

ついに、8月、今年初めての大会を迎えた。
選手、指導者、そして父兄一同が待ちに待った大会だった。

選手がユニフォームを来て元気に野球をする姿に感動して涙する方もいらっしゃった。
私も感無量で隠れて目を擦った。

我がチームは2連勝してベスト8に進出した。
雨天延期の関係で大会の日程は過密になり、3日連続の試合となった。

試合会場までの道のりは片道2時間…
連日の長時間の移動で身体には疲労が蓄積していたが、
熱く白球を追い求める我々の精神には何の障害にもならない。
夢を求め、毎日努力する者の前に立ちはだかる試練は時に残酷であるが、
その試練が忍耐を生むという聖書の言葉の通り、
‘その’試練によって選手たちはもちろん、指導者の私も強くなっているのを感じた。

実力が拮抗するベスト8の試合は乱打戦だった。
先制したが逆転を許し、逆転し返したのだが、また逆転を許し…結果的には7ー8…
規定試合時間超過によって最終回が無くなり、サヨナラ負けを喫した…

監督は声を枯らして選手に指示を送った…
選手も持てる限りの力を出しきった…
しかし、あと一歩、及ばなかった…

この期間、苦しい思いをしながら悟ったことが本当に多かった。
(悟るとははっきりと分かるということ)

日常の中で当たり前のように目の前にあるモノは決して当たり前のモノではなく、
その一つひとつがとーっても貴重でかけがえのないモノだということ…

無くなってからその価値に気付いては絶対にいけない。

野球を思う存分できる環境があること。
その前に自分自身の命があること。
毎日身の回りのことを何も言わずにしてくれる妻の存在。
元気に走り回る我が子の存在…

多くのことを感じ、考え、記録として残す

野球を通して学んだこと by.S.K

<はじめに>
僕は野球を小学1年生から大学4年生まで、計17年間本格的に取り組みました。

その17年間の中で野球を通して学んだことを書きたいと思います⚾️!

<野球を通して学んだのは人生そのもの!>
野球を通して学んだことについてじっくり考えてみました。

・耐え忍ぶこと
・努力すること、モチベーション・熱量の大事さ
・雰囲気の大事さ、盛り上げること
・準備の大切さ、次のプレーを考えること
・礼儀
・チームプレー、人とコミュニケーション
・分析すること
etc

多分他にもあると思います^^;
考えついたものを並べてみて気づいたことは、
野球を通して学んだことが今の自分の精神そのものだということ👀!!
驚くのと同時に、納得しました笑

特に「ビジョン」「準備」「努力」「分析」。
いわゆるPDCAサイクルに当てはまると思うのですが、
まさにそれが野球を通して形成されたと思います。

野球日記から始まって、今では人生日記を書き続けて14年が経ちました。
仕事でもプライベートでも、雰囲気を作ったり、分析したり、妥協をしない姿勢は野球をしていた自分そのままです笑

<何かに打ち込むことが大きい!>
ここまで野球を通して学んだことについて書きましたが、
やはり何かに打ち込むことが大きいと感じました☆

ずーーーっと続けてきたからこそ分かることがあったし、
白球を追いかけ仲間と切磋琢磨してきた時間は何物にも代え難い人生の記憶だと感じます。

別に野球である必要はないと思いますが、野球なしに僕の人生は語れません。
人はやはり夢中になれるものがあるとこんなにも得るものが多いのだなと感じました。

<最後に>
僕の野球人生について少し。

僕がガッツリ野球に取り組んでいたのは小学1年生から大学4年生までの17年間でした。

17年間も続けていたということは、言い換えれば、野球にそれだけ多くの時間を投資していたと言えます。

野球は正直、練習や試合時間が長く、また、お金もかかるスポーツです。

競技人口も日本ではサッカーと1、2を争う人気のスポーツであり、並大抵の努力ではレギュラーになれないこともしばしばあるかと思います。

そんな中、僕自身のことでいえば、プロ野球選手になることを中学3年生から本格的に志し、大学4年で摂理に来るまではプロを目指して、まさに人生をかけて命かけて野球に懸けていました。

具体的には、練習には一番早く出て行き、一番遅くまで練習をして帰っていました。
食事やトレーニングに関しても人一倍気を遣いながら野球に向き合ってきたつもりでした。

しかし怪我の影響もあって、最終的には大学の野球部でスタメン出場を1度果たしたのみ…
まさに競争の壁に跳ね返されてしまいました。

普通に振り返ればプロ野球選手への挑戦は”失敗”だと捉えられますが、
摂理に来て、過去歩んで来た人生を活かす術を知って、それが今は自分の人生の”財産”となり、根幹を支える”かけがえのないモノ”だと言えるようになりました。

今日は「野球を通して学んだこと」というテーマで書かせていただきましたが、
野球と人生は本当に野球選手にとっては切っても切り離せないものなのではないかと思いました☆

野球について、最近改めて興味・関心が再燃してますが、
引き続き野球の価値を探究し、天の最高の芸術作品である野球という天のスポーツを貴重に思って今後とも携わって行きたいと思います^^!

【難攻不落の城を落とす精神】第1講:実力が拮抗するチーム同士の試合の明暗を分ける精神

聖書の中ではヨシュアという人物が登場する。

彼は難攻不落と言われたエリコの城を落とすことに成功したのだが、
その際に彼に何か特別な武器があったかというと、そういうわけではない。

ではなぜ彼は難攻不落の城を落とすことができたのだろうか?

そこには神様がヨシュアに授けた「大胆さ」という「精神」があった。
「精神」が明暗を分けたのだ。

 

スポーツにおいて、技術、スピード、パワーはもちろん必要。
しかし「精神」が欠けては戦いに打ち勝てない。

【難攻不落の城を落とす精神】と題してスポーツに欠かせない「精神」を紹介しようと思う。

記念すべき第1講は実力が拮抗するチーム同士が試合をする場合、どのような精神が勝敗を分けるのかについて。

全国の強豪が出揃う大会に参加し、ベスト8くらいまで勝ち進めば、ほとんど実力差がないように感じる。
1点、1ポイントを争う試合展開になるのだが、その勝敗・明暗を分ける「精神」とは一体いかなるものだろうか?

 

先生はこう語られた。

“과감하게 못해서 진다”
“果敢にできず負ける”

 

「果敢に」プレーする精神。
自分の持てるすべての力を惜しみなく発揮するためには果敢にプレーできなければならない。
相手の出方に動じて躊躇し果敢に前に出ることができなければ負ける。
実力が拮抗するならばなおさらだろう。

果敢にプレーする精神で難攻不落の城を落とし、勝利の栄光を手にすることを願う。