「直す」作業

本格的に冬トレが始まり、各自、自分の良くない習慣を「直す」作業に取り組もうと選手たちに話をした。

投球フォームや打撃フォームはなかなか直らない。
試合が無いこの冬に時間をかけて取り組まなければならない部分だ。

練習の大半は「直す」作業だと言っても過言ではないだろう…
試合よりも「直す」作業に苦戦している選手が多いかもしれない…

「直しさえすればよい。」
これが私が端的にたどり着いた結論だ。
あれこれとできない言い訳を探す必要もない。
細かいことに神経を使う必要もない。
直しさえすればよい、という淡白な思考が良いのではないかと思っている。

車も修理してこそ使うことができるように自分自身を直すことだと先生は人生のコーチをしてくださった。
労力は要るが、早く直してしまえば、その分だけ、直した自分を持って活動することができる。

また、いち早く直すことを最近コーチングの中では強調するようにしている。
もちろん、一日二日で直るものもあるが、長い時間が必要な場合もある。

自分がどれだけ心を固くし、絶対直すという信念を強く持てるのかが「勝敗」を分けると思う。

とは言うものの、実際には「直す」作業で自分に失望し、リタイアする場合が少なくない。
直すことができずに、自分は実力がないのだと思ってしまうからだ。

実力が問題ではなく、体質が問題だ。
(2014年5月11日主日の御言葉より)

先生は問題の本質を突かれた。
実力だと思う問題の根本は、実は、体質の問題であることが大半だ。
体質を改善すればよいのだということをまずは深く認識しなければならない。

また、「直す」作業、すなわち、体質を改善するには段階が必要だ。
階段を一段ずつ上がるように、段階的に、漸進的にやらなければならない。
これも先生が教えてくださった方法だ。

例えばいきなりグランド10周を毎日走ることを習慣にしようとするとハードルが高すぎて挫折する。
最初は3周くらい、いや、1周から走り始めてもよいだろう。
そうして無理なく、負担感を感じなくなったら5周、次は7週と上げていく。
そうして10周を走れるようになるのだ。

現代社会は素早い変化を求められることがある。
しかし、物事の理は、「万事に飛躍なし」だ。

 

指導する側も段階的に指導することに留意しなければならない。
結果を求めるがゆえに、急ぐあまり階段を2段3段4段飛ばしで上る途中で足をくじくように、選手がつぶれてしまう。
私も深く戒めて、冬トレに臨みたいと思う。

原石

ダイアモンドの原石を実際に見たことがあるだろうか?
ダイヤモンドのような綺麗さ、輝きはない。(もちろんそれ自体でもある程度は輝いているが…)
原石を研磨してこそ、あの美しいダイヤモンドが誕生するようになる。

才能のある人をダイヤモンドの原石に例えることがある。
磨けば素晴らしい選手になれる!と教え説く。

しかし、ダイヤモンドの原石を研磨する過程には想像を絶する労力が必要であるのと同じく、
いくら才能を持っていると言ってもその才能を開花させるためには文字通り血のにじむ努力が必要だ。

ゆえに、努力する過程の中で「自分は才能がないのでは?」と思い込んでしまうのだ…

正直、スポーツの世界で才能を開花させられる人は一握り…
狭き門を行く競争者たちも多いがゆえに、その道のりは険しすぎる…

 

最近、ある選手の個別指導を依頼された。
その選手の話を聞いて、正直、驚いた。
チームの練習が明け方の2時まで行われるという…
私もそれなりに熱意をもって取り組んできた自負があったが、次元が異なる競争世界の話を聞いて、自分の人生観が変わった。

そこまでやる必要があるのか?と思うだろう…
もちろん、明け方の2時まで練習をして、効果があるのか?と問い詰めていけば、本当に効果があるのか分からない。
しかし、そこまでやってこそ見えてくるモノがあるのも事実。

 

何かを得ようとするときに、それに見合う、それ相当の努力をしているのか?と自問自答するようになった。
また、得ている人を見て、それに見合う、それ相当の努力をしているということを深く考えるようになった。

コリント人への第二の手紙9章6節
わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。

 

12月に入り、本格的に冬のトレーニングを開始した。
一年の中で一番苦しいこの時期に歯を食いしばってどれだけ努力できるのか、どれだけ自分を追い込めるかによって春先の結果が大きく変わってくる。

各自持って生まれたものは確かにある。
しかし、それを開発し、生かすのは自分の努力次第。
自分を原石と思い、自分を磨くことに努力を惜しまない一冬を過ごしたいと思う。

詩篇126篇5節
涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。

選手を省みるということ

先日、OBの選手が怪我をして入院したという知らせを聞いて、病院に駆けつけた。
雨の日に階段で足を滑らせ、脇の側溝に足が挟まり、そのまま倒れて靭帯が切れたそうだ…
彼は我がチームにいた時にも試合中に滑って靭帯を切った…
今回で二回目、全治3か月の診断、リハビリも入れて復帰には半年ほどかかるだろう…

私も怪我や病気で戦線離脱した経験が多々ある。
どれほど悔しく、どれほど苦しい思いで病院のベットで横たわっているだろうか…

そんな彼の心の慰めになればと思い、お菓子とパンとジュースを買ってお見舞いに行った。
今週、先生は命を省みなさいとおっしゃったが、いつも命を愛で省みられる先生の心情が少し分かった気がした…

 

野球選手の中で故障や怪我と戦っていない選手はいない、と言っても過言ではないと思う…
身体を駆使し、日々戦う選手たちを省みることは指導者の大きな役割だ。
技術を教え、訓練させることも大切だが、心身のケアを怠ると選手生命を失うことになりかねない…
今年一年の締めくくり、選手を省みることに集中したいと思う。