自分の中で失っていたモノ

今日は主日礼拝だった。
御言葉の中で「自分の中で失ったモノがある」とおっしゃったことが特に突き刺さった。

「過ぎた日の経緯を忘れるな」と先生は頻繁におっしゃってくださっていたが、様々な“経緯”を私は失い、忘れて生きていたことを悟った。

 

経緯…
自分がどのような過程を経て今現在に至るのかを回想してみた…
特に祖国を離れて野球で生計を立てるようになるまでに労苦した日々のことを…

神様を信じて愛して生きているからと言って無条件良くなり栄えていくわけではない。
「努力」という責任は果たさないといけない。
それも並大抵の努力ではなく、先生がおっしゃるように、心と思いと命を尽くす努力だ。

ここ数日、現状に対する不平不満が出てきていた。
感謝したくてもできなかった。
問題の答えはやはり御言葉にあった。
忘れていた経緯を思い出したら感謝する考えに転換し始めた。

そして「言うべきことは言わないといけない」とコーチをしてくださった。
不平不満を抱えているのではなく、正当に主張するべきことは言わなければならないことを悟った。

 

やはり御言葉。
人生の問題にぶち当たった時、御言葉の中にその答えが入っている。
御言葉を通して答えを得る体験が連続するとき、御言葉が今生きて働かれる神様の言葉だということを認めるしかない。
摂理で御言葉を聞いて問題の答えを得てきたその経緯も忘れることなく生きていきたい。

プロ野球選手たちのキャンプインに伴って

プロ野球選手たちがキャンプインしたことを知らせるニュースを今週たくさん見聞きした。
試合・リーグ戦への準備がいよいよ本格的に始まったわけだ。

我がチームも、プロ野球選手たちと同様に、本格的に試合に向けた準備を開始した。
練習場所を温かいところへ移したいが、コロナによってできず、普段練習している場所で新たな段階に移行することになった。

11月に試合が終わってから約3カ月の間、一切試合をしていない。
すべての選手が試合から離れて長い時間が経過しているため、試合に対する感覚がかなり落ちている。
ゆえにキャンプで試合に対する感覚を取り戻すことができるようにするのだ。

特に気を遣うことは投手の調整だ。
フォームの改造に取り組む時期は終わり、捕手を座らせ、打者も立たせてのピッチングを始めた。
少し早いかもしれないが、2月下旬には練習試合が始まるため、少しずつピッチを上げることが必要だと思っている。

試合はコロナの状況でどのようになるかは分からないが、例年通りに開催されるとなると3月初旬には大会がスタートする。
残り1カ月を切っている。
チームの士気を高め、試合に向けた準備を着実に進めていきたいと思う。

パン一つだったとしても、あるのとないのとでは天と地の差

「パン一つだったとしても、あるのとないのとでは天と地の差」
この言葉は、空腹の中でひとり仕事をすることになった心情を表現した言葉だ…

先生はそういう人の心情を良くご存じで、いつも食べるものをくださる。
「愛は関心だ」とおっしゃったが、関心を払っているからこそ、空腹の人に食べるものを配ることができる。

先生がサッカーをされた時、その最中、あるいは終わった後に食べるものを配ってくださった。
受け取らなかったことが記憶にない。
物凄い多くの観衆一人ひとりにその場でスイカを数十玉切り分けて配ってくだっさったこともあった。
真夏にはアイスクリームを一人ひとりにくださったこともあった。
スルメを焼いてくださったこともあった。

先生は自分が空腹だった経験があるからだとぼそっとおっしゃったことがあったが、自分がつらい思いをしたならば、他の人には絶対にそうさせないという強く温かな気概を感じ、私もそのような人格を備えたいと思った。

 

関心。
選手に対して常に関心を払うことが監督・コーチの大きな役割だ。
チームの人員が増えるにつれ、一人ひとりを細かく省みる時間が少なくなっていくが、常に関心を払うことで、選手をしっかりとケアすることが大切だ。
先生は何千何万、それよりもはるかに多くの人に関心を払い、その心情を汲み取っていらっしゃる。

絶えず関心を持てる人間になっていきたい。
空腹だった自分を忘れることなく…