練習中に起こった事故・怪我の真因

一昨日のこと、ある選手がベースランニング中に怪我をしてしまった。
1塁を駆け抜ける練習だったのだが、ベースを踏む際にベースの中心よりも向こう側を踏んでしまい、滑ってそのまま転倒してしまった。
不幸中の幸いと言って良いか分からないが、骨折したり、靭帯が切れたりはしていなかった…

大会前に貴重なメンバーが一人でも欠けるのは非常に痛い…
リハビリも含めて最低でも1カ月は復帰にかかるだろう…

 

さて、今回の怪我だが、常日頃からベースを踏む位置については口酸っぱく教育してきた。
ベースの手前の辺の部分を土踏まずのところで踏むようにと…

基本をおろそかにし、練習中に少しでも気が抜けるようなことがあれば、やはり事故・怪我は不可避だろう…
選手自身が守るべきことを守らず責任を果たせないことによって起こった事故・怪我だったとしも、やはり指導者としては心が痛い…

この一件を通して、選手一同が受けた教育をしっかりと戒め、気を引き締めて練習に取り組む契機になることを切に願うばかりだ…

野球の難しさ~状況判断、ケースバイケース~

野球というスポーツをやればやるほどに、プレーすることも教えることも非常に難しいと感じている。
私が個人的に難しいと感じる部分は状況判断をしなければならないということだ。

例えば、ノーアウトランナー1塁において、相手がバントをしたとする。
バント処理において、2塁に送球するか、1塁に送球するかはランナーの状況次第で判断が異なる。
しかもその判断を下すために用いることのできる時間は1秒にも満たない。
ランナーの立場で考えても状況判断は非常に複雑だ。
ある程度の2次リードを取った後、ゴロなのか、フライなのかを瞬間に判断して走るか帰塁するかを決めなければならない。
さらには判断が遅れてスタートが遅れればアウトになってしまう。

このように一つの場面だけを切り抜いて考えてみても、状況判断を瞬間的にしなければならないため非常に難しいと思うのだ。
よくケースバイケースという言葉を聞く。
この言葉がまさに状況判断の難しさを表現したものだ。
Aの場合にはBをする、Cの場合にはDするという無数のケースバイケースが野球には存在している…

野球を始めて間もない選手たち(始めて2~3年)に、このような難しい野球を易しく理解し、状況判断を上手くすることはできないかと最近かなり悩んでいる。
何とかしてケースバイケースと言わずに体系的に野球を捉えることができないだろうかと考えているところだ。

今後、指導者として大成できるかどうかのカギがこの部分にあると感じている今日この頃。
先生は研究することをいつも強調されるが、この課題を研究して野球を易しく理解して楽しくプレーすることができるように出来たら良いのではないかと思う。

ボールにサインすることを通して

昨日の練習で新球を出した。
一年に1,2回、一回に200球近くを出す。
大会前に新球で練習をして一層試合に備えようという狙いがある。

新球を出す時には、ボールを区別できるように、チームの名前をサインペンで書くようにしている。
2文字だけ書けば良いのだが、200球に一球一球書くとなると、想像以上に時間と労力がかかる。

こういう作業をすると、いつも先生の実践が考えに浮かぶ。
これまでに先生が書いてくださったサインの量が半端なく多い。
受け取った時には本当に喜ばしいが、それ以上に、そのサインに込められたメッセージの深さとその背後にある先生の労苦に感謝・感激、感嘆するしかない。

先日、「どこでも神様、聖霊様、主と祈りと対話だ。」とサインをしてくださった。
生活が舞台だと教えてくださったが、教会に行った時だけ祈るのではなく、日々生活しながらどこでも祈り対話するようにコーチしてくださるサインだった。
一般にサインといえば、名前と日付が書かれているだけだが、先生のサインには必ず神様の御言葉が入っている。
確かに、野球選手の名前の入ったボールを受け取ることが出来たらば嬉しいが、その選手のメッセージまで書かれているならばどれほど嬉しく、意味があるだろうか?

新球を出すにあたってチームの名前をボールにサインしながら思ったことを徒然なるままに書いた。