桜を鑑賞しながら…

昨日と今日、同じ場所に桜を見に行った。
樹齢数百年の桜の木が満開の姿に神様の創造の美しさと神秘さと雄大さを感じて感激・感嘆した。

上の写真は3月31日に撮影したもの。
文章と写真ではその美しさ、神秘さ、雄大さを表現することは不可能だが、参考までに。

そして下の写真が4月1日に撮影したもの。

1日にしてここまで様変わりしたことに驚いた。
万事時があるとは聖書にも書かれているが、この桜を見ながら「時」について深く悟った。

もう2,3日もすれば殆んど散ってしまうだろう…
人もこのようにこうだろう…

ペテロの第一の手紙1章24
「人はみな草のごとく、/その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、/花は散る。

虚しく、寂しいと思わずにはいられない…

ペテロの第一の手紙1章25節
しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。

この時、霊感が来た。

花は“肉”のようだ。
散ることなく、永遠に存在する“霊”のために生きる人生、花のように美しく神秘的で雄大だ。

野球をする日々の中で、不図人生について立ち止まって考える時間を持った。
信仰を持ち、永遠なモノに重きを置いて生きることが本当に幸せだと告白する。

分別・判断のミスが大きな苦労を招く

先週土曜日のこと。
「分別の知恵」という御言葉が伝えられた週の最終日だった。
午後2時からの練習スケジュールを組んでいたが、雨予報だったため、練習を中止にするか、あるいは決行するか悩んでいた。

最終的には開始時間を早めて練習することにした。
しかし、開始早々小雨が降りだした。
練習を素早く進行させたが、雨は強くなるばかりだった…
結局、大雨に打たれながら練習することになり、早めに練習を切り上げるしかなかった…

もちろん、雨天での練習を通しても得られるものはあった。
しかし、大きな苦労をしたその分だけ得られたものがあったかと言えば、そうではなかったように思う。

指導者は分別・判断を本当によくしなければならない。
ついてくる人たちも共にその分別・判断に従うようになるからだ。
組織が大きくなればなるほど、指導者の分別・判断の失敗の損害は大きくなる。
私も指導者の一人としてこのことを深く戒めたい。
そして、切実に祈り、願い求め、分別・判断の知恵を受けたい。

過程の中で楽しむこと

昨日、選手と共に食事をした時のこと。
私は少し遅れてその場に到着したのだが、ある選手がもうすでに食べ終わっていた…
彼はいつも食べるのが速く、5分もかからないことが大半…
もっと味わって食べた方が良いのではないかと助言すると、お腹を満たせば良いんですとの回答が返ってきた…

この一件を通して、人生もこのようにこうだということを深く悟った。
目的に向かって突き進むことは重要なことだが、その過程において何も感じるものがないとするならばどうだろうか?

先生は過程の中で楽しみ、過程の中で得ることを教えてくださった。
先生は故郷を開発されながら、サッカーもし、皆と共に食べ飲み、様々な行事も行なわれた。
全部作ってから使おうとするのではなく、過程の中で享受することを示してくださった。

日々の生活の中で何か面白くなく、虚しさを感じることがあるだろうか?
ご飯を食べる時に、よく噛んで味を味わうように、人生もそのように生きれば変わってくるのではないかと思う。
野球においても、ただ勝つことだけに向かって突き進めるのではなく、過程の中で寝食を共にしながら楽しむことが大切だろう。