野球での事故は毎年のように報告されている。
恐ろしいことに死亡事故も…
正直、野球をしながら命の危機を感じた経験がある選手は多いことだろう。
悲しいことに、打球が当たったり、デッドボールを受けたりすることによって命を落とした選手がいることは事実だ…
今週の主日の御言葉の中でチョンミョンソク牧師は「あなたを死から助けてくださった三位一体(神様、聖霊様、御子)の恵みを悟って愛して生きなさい」と教えてくださった。
神様が命を守ってくださらなかったら、今、野球をすることはできない。
この世に命があるから野球ができるのだ。
過去を省みると、多くの死の危険があったが、奇跡的に命が守られた(=神様が命を守ってくださった)体験をしたのでここに証したい。
中学の時、試合でのことだ。
私はランナー1塁の場面で打席に立った。
監督からはバントのサインが出た。
私は投球前から足を開いて完全にピッチャーに正対した。
正直バントに自信はなかったが、不安感と恐怖心を払拭し、絶対に決めるという強い覚悟を持って投球を待った。
当然、避けることなど頭の片隅にもなかった。
(その時、ピッチャーはバントをさせまいとインコースを狙って投げ込もうとしたのだと思う。)
投じられたボールは正対する私の身体のど真ん中に来た。
正対した状態からボールを避けるのは難しい。
ましてや。避ける考えなど微塵もなかった私は、避けたのだが避けきれず、胸部のどこかにボールが直撃した。
私はその場にうずくまった。
激痛と戦った。
だが、幸いにも大きな怪我には至らず、何とか1塁に向かうことができた。
骨が折れたり、心臓震盪を起こしたりしていたかもしれない…
守ってくださった神様に心から感謝したい。
高校の時、バッティング練習の準備をしている時だった。
高速回転中のバッティングマシンと接触した。
バッティングマシンを始動した後で位置を調整しようとして動かしたところ、私の肩にローラーが触れたのだった。
高速回転中のローラーに触れたらどうなるだろうか?
「紙一重」とはこういう時に使うのだろう。
触れたその瞬間に逃げた。
(自分が意図して逃げたというよりも、なぜか瞬間身体が反応したのだった。)
練習用ユニフォームの袖はスパッと切らた。
中のアンダーシャツはというと…
擦れた跡がついていた…
もう1cmでも私の側に傾いていたらどうなっていただろうか?
守ってくださった神様に心から心から感謝したい。
「不幸中の幸い」という言葉がある。
幸いであったということは、他でもなく、神様が守ってくださったということだ。
神様が大事に至らないように守ってくださったということを私は確信する。
野球ではないが、私は大事故を経験したことがある。
大学の時、対向車が速度超過でスリップして中央線を割って私の車に突っ込んで来た。
ぶつかった瞬間はものすごい衝撃だった。
エアバックは飛び出し、車は廃車になるほどに破損した。
しかし、奇跡的に対向車はバウンド?した。
私の乗っていた座席はかろうじて潰れることなく、軽いむち打ちで済んだのだった。
助手席に友人が乗っていたのだが、彼もまた無事だった。
死の危機から尊い命が守ってくださる神様の恵みに感謝し、生かされた命を尊び、神様を愛して生きていきたいと思う。