三つ巴のナイター試合

先日、三つ巴のナイター試合がありました。
3チームが2試合ずつ試合を行ない、試合をしていない時間は審判やボールボーイで試合の手伝いをするという非常に画期的(?)なやり方で進行されました。

チームとしての成績は1勝1引き分けでした!
今年に入ってなかなか試合が組めず、約10ヶ月ぶり(?!)の試合となりましたが、チームが一つとなって互いに励まし合いながら良い雰囲気の中でプレーができたように思います。
また、チョンミョンソク牧師が教えてくださった愛の精神で、仲間はもちろんのこと、相手も尊重し、相手に良いプレーが出れば拍手して和を成すことができました。
草野球の試合を見ていると、結構ヤジが飛び交っていて、プレーの中で笑顔があまりありません…
どのような精神で取り組むのか、それによってその場が天国にもなりえるし、地獄にもなりえることでしょう…
(私が大学時代だったころを回想しました。
ピッチャーがフォアボールを出せば野手から罵声が飛んでくるようなチームの状況でした。
勝ち負けにこだわる世界だからこそ失敗は許されないのですが、非常に投げ難く、雰囲気は良くなかったですね。
そういうチームが勝てるかということ、正直厳しいように感じます…)

個人としての成績は、引き分けとなった試合で登板させていただき、6回3失点、QS(クオリティー・スタート:6イニング以上投げて自責点3点以内に抑える)を記録しました。
久しぶりの登板ということもあり、4回途中で足がつりかけました。
その時、「主と共に最後まで」という御言葉を思い出し、その御言葉を反芻しながら投げ続けました。
また神様を呼びながら「力をください」と祈りながら投げました。
そうしてなんとか完投することができました!ハレルヤ!!
(6イニング目に1点のリードを守れず、ワイルドピッチで同点にしてしまったことは非常に悔やまれます…)

今後もキリスト教福音宣教会の野球部は愛の精神で相手チームの皆さんとも和を成しながら野球をしていけたらと思っております。
今後も相手チームとの一期一会を大切にしながら、一つひとつの試合で素敵な経緯を作っていきます。

雨天決行!教会ソフトボール大会

先日、教会でソフトボール大会をしました。
台風の影響で雨が降っている状況でしたが決行しました!

企画当初、2チームできるくらいが集まれば良いと考えていましたが、参加者を募ってみると、想定の倍以上の方が参加したいと手を上げてくださいました。
大人数をどのように動かしていったらよいのか、嬉しい悩みを抱えながら、企画に関わった教会の野球部員たちは「みんなが楽しめるようにすること(by.チョンミョンソク牧師)」を第一目標とし、教会に奉仕する心でプログラムを構築しました。

教会に通う方々の中には野球・ソフトボールに全く触れたことがない方々もいらっしゃいます。
普段接することのないボール・バット・グローブを手に取り、多様なスポーツ文化の1つに触れる機会を作ることそれ自体に物凄く大きな価値があり、甲斐があることだと感じます。

老若男女問わず、多くの方々と一つの空間で一つのことをやる場を設けることは易しいことではありません。
しかし、スポーツ(今回はソフトボール)がその役割を担ってくれます。
世代間で交流する場を作り上げることのできるスポーツそのものの価値もまた感じた機会となりました。

さて、チョンミョンソク牧師は行事に共になさる神様だ、と教えてくださいました。
今回のソフトボール大会でも神様が共にしてくださったことを見て経験したため、ここに記録して残したいと思います。
事前準備の段階で、老若男女が共に参加するということで、「絶対に事故・ケガがないようにしてください」と21日間、神様にお祈りをしました。
そのお祈りの通り、無事に事故・ケガなくソフトボール大会を終えることができたのですが…
実は、非常に危険な出来事がありました。
(当日、雨の中、ボールやバットが滑りやすい状態にありました。)
試合の合間に待ち時間を無駄にしないために、バッティング練習(Tバッティング)を外野のファールグラウンドで行なっていたのですが…
思い切り振ったバットが手を離れて飛んでいきました…
バットは遠く離れて見ていた人の方へ…
幸いにもバットはその人の頭上を通過…
神様が守ってくださいました…

もちろん、打つ時、投げる時には近くに人がいないように注意を払っていました。
事故を起こそうと思う人はいません。
不意に起こるものです。
未然に防ぐために万全な備えをしていても、想像を超えたことが起こるものです…
だから神様が守ってくださらなければ完全に防ぐことは不可能だと私は考えます。
今回の件も、間違いなく、神様が守ってくださいました…アーメン。

終わりに、雨に降られながらも、今回参加した方々が笑顔で帰って行かれる姿を見ました。
その笑顔が今回の教会ソフトボール大会の成果の象徴だったと思います。
いつも「天には栄光、地には平和」という聖書の御言葉をテーマに掲げていますが、平和なところには笑顔があるでしょう。

私たちキリスト教福音宣教会の野球部は「自分の栄光を求める」ことはありません。
いつも神様が喜ばれる行ないをすること、これは野球・ソフトボールをする時にも変わらない姿勢です。
天には栄光となるプレー・行動言動を心掛けることで、地に平和を成していけるよう、今後も努力したいと思います。

甲子園球場100周年

1924年、今から100年前に甲子園球場は完成しました。
甲子園球場は野球人たちにとって「聖地」と呼ばれるほどに特別な場所として知られています。
私も約20年ほど前に聖地を目指して日々努力した身ですが、その場所に足を運ぶと今でも当時の記憶が鮮明に蘇ってきます。

先日、甲子園球場に夏の高校野球を見るために足を運ぶ機会がありました。
甲子園球場でプレーする高校球児たちの姿はいつ見ても感動を呼ぶものがあります。

実は、昨年も足を運んだのですが、今年はひと味違う視点を持って見ることができました。

まず、高校球児たちのプレーについてです。
そのプレー一つひとつがどのような過程を経て生まれるようになったのか、その背景に注目しました。
数万の練習の過程を経て生まれたプレーは芸術という表現がピッタリなほどに美しく見えました。
どれほど練習を積めば物凄い観客と猛暑の中でそのようなプレーをすることができるでしょうか?
今週の御言葉、条件対価という話が出ましたが、やはりタダはなく、練習という条件を積んだ対価としてそのようなプレーを得たのだということを確信しました。

また、監督の役割についてです。
監督は選手の代わりにプレーしてあげることはできません。
練習の中で手取り足取り教えることはできますが、試合中は選手がやるしかありません。
最終的には選手がどうするのか、その責任が大きいということです。
神様も同様に、人間に責任分担をお与えになり、神様が御言葉はしてくださるけれども、人間がどうするのか、その責任が大きいということを深く知るに至りました。

その他にも多くの信仰のことを野球を通して学び知ることができることを私は強調したいです。

さて、甲子園球場は100年という歴史を刻みました。
その100年の歴史の中で様々なストーリーが生まれました。
100年という歳月は人間の人生を考えると非常に長い時間です。
100年という歳月であってもいまいちピンと来ないのに、神様の宗教歴史6000年と言われてしまうと余計にピンと来ない人たちが多いかもしれません。
しかし、歴史は確かに存在した事実です。
その歴史の事実に目を向け、その先代たちが築き上げて来たモノを今の自分たちの人生に活かすことが非常に大切です。
甲子園球場の歴史、そして神様の歴史、歴史という大きな遺産を存分に活かす人生を送りたいと思います。