捨てることのできないアンダーシャツ

野球を始めてからどれくらいの歳月が流れただろうか?と不図思い、
数えてみると…

なんと…

22年もの歳月が流れていた!

人生の3分の2を野球と共に過ごしていると思うと、
物凄い長い歳月だなーと自分自身の人生に感嘆する思いが沸き上がってきた。

何か一つのことを長い間続けることは易しいことではない。

途中で挫折する多くの人たちをわき目にしながらも、
どんなことがあっても最後までその道を行く人が勝利し、その道を制していくであろう。

多く人たちが野球で職を手にすることを夢見ているが、
実際に最後までその志を持ち続けて成功を手にした人はごく僅か…

私がそのうちの一人になることができたのは、
まさに最後までその道を諦めることなく歩んで来たからだと思う。
(もちろん、神様を信じて勤しんで信仰生活を送ったからだ!ということは言うまでもないが…)

さて、今日のタイトル「捨てることのできないアンダーシャツ」、
私にはどうしても捨てられないアンダーシャツがある。

ただもったいないからという理由ではない。

そのアンダーシャツの中に「たくさんの思い出」が詰まっているからだ。

高校の時から今まで使っているそのアンダーシャツは、
正直臭いも良くなく、早く捨てろ!と言いたくなるアンダーシャツ。

しかし、そのアンダーシャツを手に取る度に、今でも昨日のことのように高校の時の記憶がよみがえるから捨てられずにいる。

寝ても覚めても野球、
炎天下の中で毎日何百球も投げたことは少なからずとも今の自分の基礎となっている。

その捨てられないアンダーシャツは左肩の部分が大きく破れてしまっている…
バッティングマシンのローラーが私の左肩をかすめたからだ…

あの時、どのようにして瞬間回避できたのか、記憶にないが、
もし避けなかったならば、今、自分の左腕は無かったのかもしれない…
(守ってくださった神様に心から感謝…)

 

そんな過去も含め、様々な思い出が詰まっているアンダーシャツと、
ついに、今日この記事を境にお別れしようと決断した。

 

過去どれだけ素敵に生きたとしても、
今、現在自分がどのように生きているのかが重要ではないだろうか。

もちろん、素敵な過去は後代にまで語り継がれ誉め称えられるが、
今、自分がどうあるのかがもっと重要だと思う。

先生はコーチしてくださった。

「古いものを葬りなさい。
そうしてこそ新たなモノを得る。」と。

過去より素敵に現在•未来を生きることを決意し、
アンダーシャツも捨て、文章として記録にも残す。

摂理に出会ってからの7年・・・

今日は私にとって特別な日です。

ちょうど7年前のこの日(12月9日)、
私は初めて摂理の礼拝に参加しました。

その日の御言葉はどんな御言葉だったかなぁと振り返ってみたのですが、
“私”という人間の価値を完全に回復させてくださった御言葉でした。

その御言葉は「同じ万物も人も、使う人の方法、それひとつによって運命が決まってしまう。」でした。

「同じ一本の松の木」も、使う人の考えと思考によって、使う人の方法通りに使われます。
もしこの松の木がきこりにかかれば、「薪」として使われます。
もしこの松の木が先生のような盆栽の専門家にかかれば、根こそぎ掘っていって尊く手入れをしてあげるので、死ぬときまで「作品」として使われます。

自分はどんな姿なのか、自分自身を見直しなさい。
自分を見て無条件、「大したものではない。」と言うな。

あなたたち自身の人生も、尊いのに正しく見ることができずにいる。
今日の御言葉を聞いて見直しなさい。

巨木の人生を切るな。
石、木など、様々な万物も人も、ただ私御子の計画通りに使うように、私に委ね、私の方法通りにしよう。
万物の価値も人の価値も、あなたたちは知らない。
それに対する鑑定はただ命の救い主である私御子がする。

 

私が最高に気分を害する時があります。
それは、自分のことを価値なく思われていたり使われていると感じたりする時です。

そんな“私”が“私”を見る時に「取るに足りない人、捨てるしかない・使い道のない人だ」と思ってしまっていたので非常事態でした。

今のままでは絶対にいけない、変わりたい、新しい世界がないものか?と切なる思いで生活をしていましたが、
実際にどうしていいのか、何をしたらいいのか全く分からずにさまよっていました。

アモス書8章11~12節
主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。
彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、しかしこれを得ないであろう。

そんな中、御言葉に出会い、摂理に出会い、最初に受け取ったメッセージがこの御言葉でした!

(その当時の私の状況は『はじめに』をご参考ください)

私の人生を価値あるように考え、尊く使っていけるように神様が導いてくださったのです!!

この日から毎日御言葉を聞きながら7年という長い歳月が経ちました。

7年間を回想してみると…日をまたぐ研究生活、国際交流、留学、海外就職、結婚、単身赴任…etc
本当に様々なことがありました…

そしてこの7年の間に、私の人生の中でも特にショッキングなことが2つも起こりました。

(今回赤裸々に書こうと思うのですが、この文章の目的は、私の人生をみなさんに分かってほしいということではなく、摂理で信仰生活を送りながら、どんな人生の問題にぶち当たったとしても、祈るといつも神様が助けて導いてくださったということ、先生が御言葉で答えをくださって根本的な解決ができるように導いてくだったということを証することです。ご理解いただき読んでいただけたら幸いです。)

 

~~

一つは父親がガンを患ったことです。
脇や首に違和感を感じて病院に行ったところ、リンパ節のガンだと診断を受けたそうです。

父親は私に心配をかけまいと詳しい状況は知らせてくれませんでしたが、
母親が私と2人きりになったタイミングでお父さんがガンだと教えてくれました。

その時、私は母親に神様を信じていることを告白し、
お父さんを必ず治してくれるから一緒にお祈りしようと言って、
お父さんが治るように神様にお祈りを捧げました。

また、先生にも父親のためにお祈りしていただきたいと依頼をしました。

 

結果…

 

治療はうまくいって、無事に完治しました!

治ってすぐに父親とボーリング・卓球をしたのですが、
健康な身体に戻って元気にスポーツをしている父親の姿を見て、神様に心から感謝しました!
ハレルヤ!!

使徒行伝16章31節
ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。

 

 

~~

もう一つは妹が事故で亡くなったことです。

亡くなったという知らせを聞いて、私は病院に直行しました。
信じられませんでした。

幅4,5メートルくらいの比較的浅めの川に車ごと落ちてしまったと…
事故の正確な原因は今も分かっていません…

妹の体にはキズ一つ付いていませんでした。
神様が最大限助けようとしてくださったんじゃないかと思うのですが…

人間の責任分担を果たせなければ事故は起こりえるので、
もしかしたら本人に何かあったのかもしれません…

 

家族のために切実に祈ってこれなかった自分を責めました。
とにかく何が何でも妹の霊の救いだけは、と思い、祈りました。
(教会のみなさんも心を込めて祈ってくださいました…感謝します…)

 

両親にも妹のために祈ろうと勧めましたが、
両親は気が気じゃなく、(当然そうですよね…)
聞いてくれませんでした…

それどころか父親は声を張り上げ「結局信じても何にも助けてくれないじゃないか!」と捨て台詞を言ったので、
私の口からはもうそれ以上なにも言えなくなりました…
(両親はある宗教の信者でした…)

両親は本当に辛い思いをしたと思います…

 

その後、歳月が過ぎ、私は結婚の祝福を受けました!
さらには、娘も授かるようになりました!!

娘には神様が名前をつけてくださいとお祈りをして、来た感動の通りに名前を付けました。
(もちろん奥さんとも相談をしました。)

母親からラインが来ました。
「名前、考えてつけてくれたんだね、ありがとう」と。

娘の名前の漢字一字が妹と同じだったため、
母親は気遣ってくれたことに感謝するラインを送って来たのでした。
(私は正直のことろそこまで考えていませんでした)

命の祝福をしてくだり、両親の空いた穴を埋めてくださる神様の愛だと確信します!!

 

この記事を書きながら、ヨブ記に登場する中心人物・ヨブの生が思い出されました。

義人(神様を信じ愛する人)だとしても困難・患難に会う。
しかし、困難・患難の中でも変わらず神様を信じて愛するならば、
神様は困難・患難の後にこれまで以上の祝福を注いでくださる。

まさにヨブのような歴史が私にも起こったのだと思っています。

もちろん過去のキズは残ります。
でもそのキズを、完全に、十二分に、祝福で覆ってくださる神様であるということを私は確信します!!

 

~~

様々なことがあった7年間でしたが、
どんな人生の問題にぶち当たったとしても、
祈るといつも神様が助けて導いてくださったし、
御言葉で答えをくださって根本的な解決ができるように導いてくださいました!

過去の歴史を見たとき、人間自らはいつも根本的な答えを見つけられず、根本的な疑問を解くことができなかった。
ただメシヤが来たとき根本的な答えを見つけ、疑問全体が解けた。

人々はそれなりに答えを探し回るけれども、メシヤに会うまではみんな疑問に閉じ込められている。

私は摂理に来てから一度も問題に閉じ込められた状態で生活したことはありません!

もちろん様々な問題にぶつかりはしました。
進路の問題、家族の問題、結婚の問題などなど…

しかし、その都度、先生は御言葉で答えをくださいました!
また、祈ることで神様が様々に働きかけて下さり解決できるように導いてくださいました!!

これからの人生もそうであると私は信じます。

 

~~

摂理で生きるこれからの人生、本当に楽しみです。

7年間の総決算として書かせていただきました。

最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。

【運動・スポーツの指導者必見】選手の能力を最大限に引き出す方法の実践

プロ野球のすべての試合日程が終了すると同時に、
私たちのチームの試合日程もすべて終了した。

今年も様々なスリル溢れる試合をこなしたが、
10月半ばに行なわれた全国大会は、
その総決算とも言える試合・大会の展開で、
記憶・記録に残るモノであった。

その全国大会では“優勝”し、
昨年に引き続く優勝で“2連覇”を達成した!

大会が始まる週の主日、
「聖霊様の導かれる通りに行ないさない」という主題で先生は御言葉を伝えてくださった。

この御言葉を聞いた私は、
試合中にはひたすら聖霊様を呼び求めながらコーチをした。

特に選手に指示を出す時には、
「聖霊様が導いてください」と切実に祈り、
作戦指示を出してきた。

~~

順調にベスト8まで勝ち進んだ。
実力が均衡するチームとの一戦。

ものすごい緊迫した雰囲気で試合が進行する中、
なんとか先制点をもぎ取って1-0で最終回を迎える。

勝利まで残りアウトカウント3つ。
守り切ればベスト4進出。

しかし、フォアボール2つと送りバントで
1アウト2・3塁の一打同点・サヨナラのピンチを招いてしまう。

ここで相手はバントをしてきた。
バントはキャッチャーの前に転がる。
キャッチャーはバント処理をして一塁に送球しようとしたその瞬間だった。

ランナーがスタートを切ってきた。

瞬間「やられたな!」と思ったのだが、
キャッチャーが一塁への送球フェイクをして三塁ランナーを刺した!

キャッチャーが機転を利かせたプレーで
いや、聖霊様がその瞬間の強力な感動で導いてくださったプレー
何とか同点のピンチを一時しのいだ。

残すところアウトカウント1つ。
しかし、なおも2アウト2・3塁の一打同点・サヨナラのピンチ。

私はリスクの少ない作戦(同点・サヨナラのランナーを背負うこの場面はパスボールのない、安全なアウトコース低めのストレートで打ち損じを狙う作戦)を考え、
そのように配球指示を出す。

初球・ストレートでストライク。
2球目・ストレートでボール。

カウントは1-1となった。

続けて聖霊様を呼んでいると、瞬間、「カーブだ」という感動が来た。

私の考えでは「いや~ここでカーブか~結構リスクあるよな~」と思いながらも、
その感動を信じて「カーブ」を要求した。

 

結果・・・

 

打者はカーブをひっかけてサードゴロ。

 

見事先制した1点を守り抜いた!

ハレルヤ!

 

「人間の考えと神の考えは違う」という聖句が思い浮かんだ。

(あのとき安全策を取っていたら打たれていたかもしれない…)

 

~~

さて、優勝まで残すところ準決・決勝の2試合となった。

この大会期間中に先生は私にヒトコトのコーチをしてくださった。
それは「叱るよりも、ほめることだ。」

私は試合中に選手に向かってよくこのポーズを取る。
特に投手に対してはストライクであろうがボールであろうが、
自信を持ってよく腕を振って投げているときには「ナイスボール」と言ってほめるようにしている。

タイトルには『選手の能力を最大限に引き出すための方法』とあるが、
まさにこの先生のコーチ「叱るよりも、ほめることだ。」のことだ!!

 

準決・決勝まではチーム全体として全然打てず、
チーム打率は2割を切っていた。

叱って気を引き締めさせる指導も可能だったが、
試合後のミーティングでは改善点を少し指摘するだけにとどめた。

その結果、準決・決勝では9得点ずつあげ、
相手に大差をつけて勝つことができたのだった!

投手陣はというと、
ほめる指導を実践したことが功を奏して、
大会を通じての平均防御率が1点台だった!!

聖霊様が導いてくださったのはもちろんのこと、
先生の「叱るよりも、ほめることだ」というコーチによって
選手たちの持っている能力を最大限発揮でき、

優勝という結果につながったことを確信する。

 

~~

「叱るよりも、ほめること」は簡単なことではない。

叱ることがすべていけないと全否定するつもりもない。

しかし、指導者の皆さんに考えていただきたいことは、
自分が選手だったときのこと

先生は「オタマジャクシの時のことを忘れるな」とおっしゃった。
成長した今の自分の視点ではなく、
成長する前の自分の視点で選手を見てみると、
接し方・指導の仕方が変わってくるのではないかと思う。

お子さんを育てる親御さんも同じ。
自分が赤ちゃんだったとき、何ができただろうか?
私も一児の父親として我が子を見ながらそのように考えて接するようにしている。

私も指導者としてまだまだ未熟だが、
日々、選手と向き合いながら、どういう指導選手にとって一番良い指導なのかを追及・研究し続けたい。