春の甲子園・選抜大会に出場できる高校を選抜する問題から考える

最近、高校野球界でホットな話題となっているのが春の甲子園に出場する高校を選抜する問題。

準優勝チームが甲子園に行けず、ベスト4のチームが甲子園に行けるという事実に賛否両論が沸き起こっている。
単純な勝ち負けで決定するわけではなく、選抜だからこそこのようなことが起こりえるわけだなのだが…

「試合で勝ったのに甲子園に行けない…」

この事実に多くの甲子園を目指す球児たちは戸惑いを感じているかもしれない。

勝って甲子園に行くことが至上目的ならば、この事実は憂いでしかない。
しかし、負けても取り組みが評価されて甲子園に行けるならばそれ以上に嬉しいことはないのではないだろうか?
また、勝っても勝ち方に対して審議をかけて問題があるとなれば甲子園に行けないようにするのならば、これもまた球児たちが真に望む甲子園という舞台への挑戦に繋がっていくものになるのではないだろうか?

事実かどうかは分からない。
準優勝チームでは走塁妨害を狙うような練習に取り組んでいたという情報を得た。
ルールの中で行なうことに関しては、誰も何も文句はつけない。
しかし、ルールの範囲内という名目を使って、勝利という欲望を満たすために、ありとあらゆる手段を使っても良い、となるならば、これには待ったをかけなければならないと思う。

どういう野球をするか、野球というスポーツの品に関わる部分は、野球に携わるすべての人たちが責任を持って考えていかなければならないと思う。
チョン・ミョンソク牧師は「文化芸術は神様が人間にくださった最も良い贈り物だ」と教えてくださったが、神様がくださった文化芸術を人間の愚行によって汚すようなことがあっては決していけないのではないか…
人間的に考えても良心の呵責を起こすようなプレーは避けたいものだ…

今回の一件が、野球というスポーツの在り方自体を考えるきっかけになることを心から願う。
そして、野球という神様がくださった素晴らしい文化芸術がより崇高なものへと昇華され、より多くの感動を呼び込む文化芸術になることことを心から願い祈る。

1872年は日本の野球界の歴史が始まった年

日本では、いつ・どこで・誰が最初に野球を始めたのだろうか?

 

この質問に答えられる野球人は多くはないように思う。
私も野球を始めて24年経った最近までこの質問に答えられなかった。
いや、この問いかけを投げかけられたことがなかった。

何事もルーツを知ることは大切なことだ。
目の前にある、日常の中で当たり前になっていること一つをとっても、そのルーツを知れば実に特別な営みであることを悟るようになるものだ。

日本に野球が来たのは、タイトルにもある通り、1872年のこと。
日本で最初に野球をしたのはアメリカ人のホーレス・ウィルソンだと言われている。

(説は様々にあるのだが、多様な参考文献を参照しながら日本の野球の歴史を紐解いた佐山和夫氏の著書『明治五年のプレーボール』を元にする。)

ホーレス・ウィルソンという人物は日本に教師として派遣された。
学生たちと交わる中で野球を学生と共にしたのが最初だ。
一番最初に野球をした舞台は学校だという事実は驚きだ。

また、最初はノックのように打ったボールを取るという形で野球をしたという。
この事実を知った時、私はチョンミョンソク牧師が復活期を迎えて初めて野球をなさった時のことを思い出した。
チョンミョンソク牧師ノックのような形で会員たちに打ってボールを取るというゲームを楽しくしてくださったのだった。
やはり歴史の主人はすべての歴史を知っていたのか…と考えると鳥肌が立った…

 

さて、ホーレス・ウィルソンという名は2003年に日本の野球界において、野球殿堂入りしている。
野球殿堂は、日本の野球の発展に大きく貢献した方々の功績を永久に讃え、顕彰するために1959年に創設られたそうだ。(野球殿堂博物館ホームページより)

?!

日本に野球を伝えた人物が日本で野球殿堂入りを果たしたのは、野球殿堂が始まって以来、44年経った後のことだった…
野球殿堂が始まった第一号は当然、ホーレス・ウィルソンでなければならなかったのではなかったか…

佐山氏の言葉を借りるならば、自分が日本の国技である相撲をとある国に伝え、その国で国技に匹敵するほど人気が出たのだが、その国の人々が全く自分のことを知らず関心もないとするならば、どのような気持ちになるだろうか?

ホーレス・ウィルソンは意図して野球を伝えようとして日本に来たわけではなかったかもしれない。
しかし、その業は「歴史の始まり」であり、0(ゼロ)から1(イチ)を創った偉大な営みであったことを記憶するべきだと考える。

44年もの空白の歳月を埋めることはできないけれども、現在野球を楽しむ人たち、そしてこれから野球を楽しむ人たちは彼の名を覚えておくべきだろう。

 

今回、今現在自分が立っているこの“時”に起きている事の始発が何なのかを正確に知ることの大切さを深く悟った。
野球について日々勉強を重ねる中で学んだことを共有したく、綴った。

2022年もキリスト教福音宣教会の野球部は歩みを止めません!

遅くなりましたが…

明けましておめでとうございます。
今年もキリスト教福音宣教会の野球部をよろしくお願い致します。

2022年がスタートして1週間が経ちましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

私は日本に帰国し、新年早々から活動を開始しております。

1日にはバッティングセンターに足を運びました。
ダブルビンゴを取ればもう一回出来るというストラックアウトでは、2回連続でダブルビンゴを達成し、36球連続で投球しました。一か月ほど投げていなかったので、良い投球練習の機会になりました。
またバッティングでは110キロで20球のみ打ちました。スイングの中で右手を早く返さずハンマーで釘を打つ動作を意識したのですが、心に適う打球は3球ほどでした。
新年早々、バッティングセンターに足を運ばれていた方が結構いました。
野球人口が減っていると言われていますが、野球が好きな人はたくさんいるのではないかと感じ、嬉しい気持ちになりました。

4日には練習メインで少人数の部員とともに活動しました。
球場に向かう途中、巨大な虹を見ました!
神様が自然万物を通して共にしてくださるシルシを見せてくださったので、心から神様に感謝感激し、感嘆しました!

写真ではあまり濃く写っていませんが、実際に見た虹は鮮やかで、カメラに収まらないほど大きかったです。

チョンミョンソク牧師は各自個性で神様に栄光を帰しなさいとおっしゃいました。
部員たちは野球という神様が創ってくださった運動芸術で各自の個性を発揮しながらプレーし、神様に栄光を帰しました。

私は先日、新しく購入したノックバットでノックを通して栄光を帰しました。
ノックをしながら、過去を回想しました。ほぼ毎日ノックバットを握って約6年の歳月が経ったのですが、やった分だけ、努力した分だけ技術が向上したことを悟りました。

今年も摂理の野球部は歩みを止めません。
コロナ感染予防のため、まだまだマスクと共に野球をする日々が続くとは思いますが、皆様も決して歩みを止めずに頑張っていただきたいと思います。