‘命’のメッセージ

先日、知人とお茶を飲みながら話をしていた時、「何かに挑戦している最中に死ねたら本望だ」と知人が言ったので、思わず熱烈に叫びました。

 

「人は死んだら何にもならない!
スポーツ選手が『グランドで死ねたら本望だ』と言うのを聞いたことがあるけれども、全くそんなことはない!
そう言いながらグランドの上で実際に人が死んだ時、どうだったのか?
スポーツ関係者も周りの人たちもみんな嘆き悲しんだではないか!」

 

 

昨年、とある大学のアメリカンフットボール部員(19)が練習中に急性硬膜下血腫で倒れ、亡くなりました。

そのニュースを聞いて、(先日話したのとは別の)知人が関係者だったこともあり、とても考え深くなりました。

今さっきまで笑ってなんともなかった人も、交通事故に遭うか、何かの事故に見舞われるか、不注意だと、ただちに死体になることもあるし、不具者になることもある。・・・だから心と思いと命を尽くして「自分を管理すること、祈ること」だ。
(鄭明析牧師の明け方の御言葉より)

アメフト部員の子も「今さっきまで笑ってなんともなかった人」だったと思います・・・

しかし、今となっては・・・

 

 

 

命について、聖書を見てみるとこのように書いてあります。

マタイによる福音書16章26節
たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。

この言葉以上に’自分の命の価値’を表現するものはないと思います。

買いもどすことができないのが命です。

 

 

 

多くのことに挑戦する人たち、スポーツ選手たちへ

本当に、本当に、本当に自分の命を大切にしてください。

そして、必ず自分自身の命を生かしてください。

 

摂理 鄭明析「命を生かすこと」

この世で一番大きいことと言えば、命を生かすことだ。

 

 

みなさんへの渾身の’命’のメッセージです。

みなさん各自が自分の命を生かすことを心から願います。

登山と人生

登山家・栗城史多氏は「人は誰もが冒険し、見えない山を登っている。」と言いました。

人生の中で目の前に立ちはだかる困難なことや様々な問題は、まさに<見えない山>と言えるでしょう。

 

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あなたがもう<一次元>上げようとするなら
「あなたの前の山」を越えていかなければならない。

 

次元は水準とも言い換えられますが、今の自分の生活水準をあげようと思うならば<見えない山>を越えていかなければなりません。

人はもっと良い“モノ”を慕いますが、行動せずしてタダで手に入れることはできません。

目の前に立ちはだかる<見えない山>を越えてこそ、今よりもっと良い“モノ”を手に入れることができます。

 

 

さて、どのようにすれば目の前に立ちはだかる<見えない山>を越えていくことができるのでしょうか?

 

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最善を尽くして「山の頂上」に登ってこそ、東西南北すべてを見おろして、やりがいを満喫する。
このように「最善」を尽くして行なってこそ、すべてを得て生きる。

 

登山家はいつも死と隣り合わせ。

最善を尽くさなければ命を落としてしまう状況ですが、そのような状況ではないとしても、同じくらいの思いを持って最善を尽くしてこそ<見えない山>も越え、もっと良い“モノ”を手に入れることができます。

 

 

とは言うものの、目の前にそびえ立つ山々は高く高い・・・

越えようとする前に心が折れてしまいそうな時があるのではないでしょうか。

栗城史多氏は「最初から無理だと決めつけていたある登山。山では生きて帰るために必死に頑張るしかなかった、自分は勝手に限界を決めていたのだと気付た」と言いました。

<見えない山>も越えようとする前に無理だと決めつけていないのか、今一度点検してみてください。

 

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決心してやろうとすれば、
「山ほどの大きいこと」も「家」のように見える。

 

「よし、やろう!」と自分に言い聞かせ、心を決めるならば、この言葉の通り、大きく見えていた山も小さく見えるのではないでしょうか。

 

さらに鄭明析牧師はこのようにコーチしてくださいました。

<高くのぼる時、次元を上げる時>その時はもっと「力」を出し、「熱心」を出さなければならない。
のぼって行くときだけが大変なのであって、大変な思いをしてのぼりきったら、そこからは「平地」と同じで、大変ではない。

 

山の頂上にのぼる時にもっと力を出すように、もっと良い”モノ”をつかむためにはもっと力を出さなければなりません。

そうするならば、各自に該当する<見えない山>を越えて、山の頂上から見えるの”絶景”を満喫することができます!

 

 

 

登山と人生。

あなたの目の前にある<見えない山>を越えるのは、他の誰でもない、あなたです。

そして、その<見えない山>を越えて”絶景”を満喫するのも、他の誰でもない、あなたです。

 

 

参考:摂理のコミュニティサイト・マンデー(主日の御言葉)(一行メンター)登山家・栗城史多氏のオフィシャルサイト

最後までやること.最後まで,最後まで,最後まで!

タイトルは自分に言い聞かせるように書きました.

そして,今日の内容は以前も書いた内容かもしれませんが,とても重要なので書きます.

 

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どうして最後までやらなければならないだろうか。

最後まで全てやっておいた後に計算して

点数をつけ「勝敗」を決定するからだ。

 

「最後までやること」

これは鄭明析牧師が何度も何度も何度も何度も繰り返しておっしゃってくださることです.

人は本当~に重要なことは念には念をと言って繰り返して話しますよね.

「最後までやる」という精神は本当~に重要です.

 

 

今,僕は最後に差し掛かっています,修士論文が...

この状況を通して,「最後までやる」精神の重要性を痛いほど感じています.

本当に多くの方に支えられてここまで来ましたが,最後提出するそのとき・その瞬間まで気を抜かないでやろうと思います!

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「最後の締めくくり」を完全にしない人は、ちょうどサッカー場に観衆がいっぱいいるところで、

相手の選手を抜いて相手のゴールの前に行って、「シュート」をしないで突っ立っている人と同じだ。

だから、その仕事をほとんどやったのに、最後にその仕事の労苦が無駄になるようにする。