歯止め

何かの問題にぶつかったとき、
「もう辞めたい・・・」と思うことが多々ある。

けれども、その度に自分を勇気づけてくれる存在がいるのならば、
人生の中でそんなにも心強い存在はいないと思う。

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途中でやめたら、やった分しかできない。

そう、途中でやめたら、やった分しかできないのだ。
人は心理的に弱くなる時があるけれども、
その時に徐々に下に下がっていくのではなく、
1cmでもいい、1mmでもいいから上にあがるようにと、
鄭明析牧師は歯止めの言葉をくださる。
まるで大型トレーラーが後退するのをシャベルで受け止めるように・・・

 

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年末は
その年の自分を振り返り、
次の年の自分を描く時間。

できなかった自分を見つめる作業は正直苦痛。
でも、そんな自分を認めるところから事態は好転する。

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あなたの希望をどこに置くのか。
すでに過去にやってみたのに、
また<肉に属したこと>にあなたの希望を置くのか。

過去の過ちを繰り返さない人が賢い者だと思う。
年末、しっかりと自分を省みて、新年、よいスタートを切りたい。

 

登山@月明洞

今日の夕方に月明洞にある登山路を走って駆け上がった。
最近、怠けていた精神を引き締めるためでもあったし、
また、頂上で“あるもの”を見たくて登るようになった。

よく冬の登山は危険だと言われるが、
天候は良好、雪も積もっていなかったし、
頂上まで2時間くらいで行って帰って来れるので決行した。

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さて、登山路を走って駆け上がることは並大抵なことではない。
標高差は200mくらい。。
過去にトレイルランの大会に参加した経験もあって山道を走ることに自信はあったが、
登り始めて10分ほど経った後からはひたすら己との戦いだった。。。

頂上まで残り1.5kmほどのところでさすがに一息ついた。
がしかし、夕方に出発したので日没まであまり時間が残っていなかった。
力を振り絞って再び頂上を目指した。

「最後まで」

鄭明析牧師はいつもそのように激励をしてくださったが、
厳しい状況の時に、その言葉の威力を感じる。

山に登りながら、
人生・何事もこのように「最後まで」やることだと感じた。

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最善を尽くして「山の頂上」に登ってこそ、
東西南北すべてを見おろして、やりがいを満喫する。
このように「最善」を尽くして行なってこそ、すべてを得て生きる。

 

さて、頂上についたらもうすでに日がくれかかっていたが、
実は、、、“これ”が狙いだった。

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<この世のすべての美しい姿>は「創造主神様の姿」だ。by.鄭明析牧師

言葉で表現することのできない美しさに触れたとき、
その時に神様の存在を認めるに至るのではないかと思う。

 

そんな創造主神様の姿を味わいながらも、
あたりはもう暗くなり、足元も見えなくなってきていた。

登山は完全に下山するまでが登山。
下山での死亡事故が多いと聞く。

下山して少し経ったとき、
走って登ってきた道のりが曖昧であることに気づいた。
同時に、暗くなるスピードが思ったよりも早い。

「これは下手をすると本当に遭難するかもしれない」

緊張が走った。

完全に日が落ちたとき、
まだ歩いて15分ほどの道のりが残っていた。。。

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しかし、幸いにも空には月が出ていた。
月明洞は「月が明るい村」だ。

一つの街灯かと思うくらいの明るさに驚いたし、
その美しさにまたも神様を感じるしかなかった。

その月明りに守られて無事に下山することができた。

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今回の登山を通して美しい光景を見ることができたが、
「怠けていた精神を引き締める」という目的はいつの間にかどこにいってしまったようだ。

よくよく考察してみると、
怠けていた精神の根本には、
日常生活の中にはっきりとした目的がなかったことが原因だったと悟られた。

<目的>を持って行なう人は、ちょうど「山の頂上を目標に定めておいて行く人」と同じで、「他の方向」には行かなくなります。
だから「時間」も「人生」も無駄遣いせず、大変でも「挑戦」するようになります。

<目的>を定めて研究し、行なって、強く生きてこそ、たくさん行なうようになり、早く行なうようになり、直すようになり、目的を成す喜びが絶えません。

みんな<目的>を定めておいて生きなければなりません。
そしてその<目的>を成すために行なわなければなりません。
そうしてこそ、船が目的地に向かって広い海を航海するように、<精神と考え>も、<行動>も、<生>も明確ではっきりして、<目的とした方向>に行くようになります。

引用:摂理のポータルサイト・マンデーより

今回の登山を通して得た教訓を持って、
2016年の年末を締めくくりたい。