普通にやったら普通にしかならない

普通にやったら普通にしかならない。

この鄭明析牧師の言葉に目が覚めた。

 

普通にやったら普通にしかならないのに、
多くの人たちは普通にやっておきながら大きな成果を得ようとしている場合がある。

 

わがチームを考えたとき、危機感が芽生えてきた。
「今年も去年のように勝てるだろう」と思っている雰囲気があることを否めないからだ。

先日、初戦を引き分けで終え、抽選勝ちをおさめたのでムードは良かったが、
攻守共にたくさんの課題が残った内容だった。

野球は突き詰めれば突き詰めるほどに精密なプレーをこなすことができる。
今回課題が残ったことで言えば、バント処理プレー。
内野がプレッシャーをかけ、進塁を許さない“シフト”プレーがあるが、
進塁を阻止できたが阻止できずに、続く打者にヒットを打たれ得点を許してしまったのだ。

少年野球にここまでの水準を要求するか?と驚かれるかもしれないが、
普通にやったら普通にしかならないのだから、
全国で頂点に立とうと思うならばこのくらいの水準のプレーをしていかなければならないのだ。

みなさんは何か大きなコトを成し遂げたいと思っているだろうか?

「普通にしたら普通にしかならない」ということを自分に投げかけ、
この鄭明析牧師の言葉を自分の行動の起爆剤にしていただきたい。

得ようとしているモノ、成し遂げようとしているコトがどれほどだろうか?

その規模が大きければ大きいほど、
それ相応の行ないをしないといけないのではないか?!

今年もチームが良い成績をおさめられるように、
コーチとしても“普通”を抜け出して頑張っていきます!!

試合後に監督から来た「指導者」として躍動するためのメッセージ

勝った試合を通して得る教訓より
敗れた試合を通してより大きな教訓を得るものだ

 

指導者は「脈」をよく掴まないといけない

危機であれチャンスであれ
どのようにしたらその状況に打ち勝つことが出来るのか
たくさん悩んでみるのだ

 

監督・コーチの野球のスタイル、野球の哲学を
全ての選手たちが分かっていないといけない

そのことが
指導者が選手に教え、教育すべき部分だと思う

平素の練習の時に
結局、作らないといけない

 

お疲れだった

選手に共通認識を持たせることが本当に重要だと思う

「頭」になる人(監督・コーチ)の思い・哲学・価値観が
「体」になる人(選手)にしっかりと共有されていること

それはこのメッセージにもあるように
平素の練習で実行していく課題だ

学んでこそ、教えられる~野球の指導をしながら~

久しぶりの投稿になりました。

本格的にシーズン入りしましたね、野球。
国内外の野球のニュースが毎日飛び込んでくるようになりました。

僕もとても忙しくなってきました。
毎週のように大会・試合です^^;
嬉しい忙しさではありますがね^^


*韓国・大田(テジョン)にあるイーグルスパーク

 

さて、野球の指導者をしながらいろんなことを考えるわけですけれども、
今日は指導者とはどうあるべきかということについて、一つ「学ぶ」ということに焦点を定めて書きたいと思います。

 

指導者によって選手の運命が左右される…

これは、本当にそうです。
もし指導者が間違ったことを教えてしまうのならば、
その選手の選手生命を奪ってしまいかねません…

何が合っていて、何が間違っているのかについては、
様々な理論があるので一概にこうだと言い難い部分があることは否めませんが、
一つ言えることは、「学んでこそ、教えられる」ということです。

指導者が一番学ばないといけません。
様々な理論もそうだし、身体のこと、その選手のことも。

選手は指導者からしか学べません。
なので、指導者の力量以上に上がることは残念ながらできません。

 

指導者が本当に学ばないといけない。

 

僕が日々戦っていることはこのことです。

本当に今の指導でいいのか?

 

全然分からないときがあります。
だから学びます。
野球の理論ももちろんですが、身体のこと選手との接し方については特に力を入れて学びます。
なぜか?
理論だけがあっても、その理論を実践する身体のことを知らなければ話にならないし、
いくら正しい理論を言うとしても、選手との接し方を間違うとその理論を選手が拒んでしまうからです。

 

学ぶことをしない人は、ある種の高慢状態にあると個人的には思います。
学ぶことをやめる時は指導者を降りた時だと、そういう覚悟でいます。

選手の運命がかかっている。

 

その人の運命がかかっている。
そう考えてこれまで指導してくださった先生のように、
自分もその人の運命を担う位置にいるということを考えながら今後も指導していきたいと思います。