良心なき人へと誘う「依存」…

新たな幕開けと共に衝撃的なニュースが飛び込んできた…
スーパースターの右腕と言っても過言ではない人間の愚行に動揺を隠せない…

私は野球選手である前にひとりの人間としてどうあるべきなのか、どう生きるべきなのか、という問いに絶えず向き合ってきた。
その答えはいくら自己啓発書を読み込んでも得ることができず、結局は聖書の神様の御言葉によって得られるようになったわけであるが、先日、チョンミョンソク牧師の箴言を聞いてハッとさせられた。

聖書に酒を飲むなという言葉はないとみんな合理化するけれども、毒薬を飲むなという聖句がないからと言って、飲むのか。
聖書に麻薬をやるなという聖句がないからと言って麻薬をやるのか。
聖書に素っ裸で出歩くなという御言葉がないからと言って素っ裸で出歩くのか。
(2024/03/20明け方の箴言より抜粋)

人には良心というモノがある。
しかし、その良心を焼き尽くし、人を奈落の底に突き落とす場合がある。
今回の事の発端となったモノが賭博…
この賭博というモノは非常に恐ろしい…
なぜか、「依存」するからだ。
酒、タバコ、異性…
薬物までいかないとしても、現在の社会の法の中で「依存」するものが巷にあふれてしまっているから本当に恐ろしい…
「依存」は人が正常な判断をできないようにする。
良心なき人へと誘うのだ…

私は日々野球の指導をしながら、これらのモノに気をつけるように話している。
依存すれば良心が無くなり、依存すれば抜け出すことが難しいからだ…

今回の一件を通じ、多くの野球人たちが健全な社会を作ろうと立ち上がることを切に願う。

野球の練習の中で得た1つのプレーの力

先日、毎月1~2回の定期練習に参加した。
その中で、1つのプレーの力についてキャプテンの発言から深い悟りを得たので共有したいと思う。

野球はたった一つのプレーで勝敗が決まることがある。
ホームラン一本で勝敗が決まることもあり、暴投一つで勝敗が決まることもある。
また、野球はたった一つのプレーで人々を感動の渦の中に巻き込むことがある。
満塁のピンチを強気のピッチングで三振で切り抜けたり、追い込まれた場面でサヨナラ逆転ホームランを打ったり、その一投一打が人の心を動かすことがある。

一方、珍プレーのような、たった一つのプレーで人々を笑顔にすることもある。
ボールがユニフォームの袖の中に入ってボールデッドとなったり、挟殺プレーで投げたボールがヘルメットに当たって生還したり、奇想天外なプレーで笑いが起こることもある。
そんな1つのプレーの力を今回の野球の練習では実感した。

今回の練習の中での実際に起こった(正確には起こした)プレーはこちら

キリスト教福音宣教会野球部の活動は真剣そのもの。
時に感動あり、笑いあり。
多くの人に野球の1つのプレーを通じて何か少しでもセンセーションを起こしたい!
そんな思いで今後も活動していきたいと思う。

聖書も野球も同じ!?文字通りの間違った解釈が滅亡を招く!?

近年、野球界では「フライボール革命」と言われる野球理論の転換なるモノが起こっている。
「フライボール革命」という言葉を知っている人は多いと思うが、その内容を詳しく知る人は少ないように思う。

バッティングにおいて、“フライボール”と言われるとどんなことが思い浮かぶだろうか?
その文字通りに解釈して、高く打ち上げることを思い浮かべるだろう。
高く打ち上げれば、フェンスを越えない限り、ノーバウンドで捕球されてアウトとなってしまう。
文字通りにフライボールを打つことと解釈し、行動するならば、それは革命ではなく滅亡だろう…

「フライボール革命」の発端はアメリカ、その中心となる考え方はバレルゾーンと呼ばれる打球速度158km以上・打球角度30~26度で打ち出せば得点に結びつく確率が高くなるというモノだ。
…ん?
打球角度が30度ならば、高く上がるフライではなくライナーではないか!しかも、打球速度が158kmということは強烈なライナー性の当たりではないか!
「フライボール革命」の実態は、易しく言うならば、「内野の頭を越す強いライナーを打て!」ということなのだ!

*理論上、物体を投射する場合の最適投射角度は、真空中での放物運動の場合には45度とされる。ここに空気抵抗などの要素が加わると数値は異なるのだが、ただ単純に遠くに飛ばすことだけを考えるのであれば打球角度はもう少し高いはずである。

さて、「フライボール革命」について、文字通りに捉えて勝手な解釈をしてしまえば滅亡を招いてしまうことは十分ご理解できたと思う。
この文字通りの解釈について、チョンミョンソク牧師は聖書の聖句を引用されながら聖書を正しく解くように教えてくださった。

ペテロの第二の手紙3章16節
彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。

この聖句の通り、聖書も野球も全く同じなのだ…
人の子が雲に乗ってくるという聖句を文字通りに信じて雲を見上げて待ち、その時が来たら天体が火で焼かれ(ペテロの第二の手紙3章10節、12節)、空中に引き上げられる(テサロニケ人への第一の手紙4章17節)という聖句を文字通りに信じて持ち物を全て捨ててミレニアムを迎えた人たちがいたことは承知の事実だ…

何事も正しく知らなければならない。
聖書も野球もその他のすべての分野においてもそうだ。
自分勝手に解釈をせず、正しく知ろうと努力することが大切であり、正しく教えてくれる人の話を聞かなければならないだろう。
自分の滅亡を招かないために…