「最後までやること」がどれだけ大事なのか気づいた野球の試合

先週の土曜日に野球の試合がありました。
試合前に上空を見上げると、太陽の周りに虹が出ていました!

前回も同様に虹が出ていましたが、いつも自然万物を通して神様が共にしていらっしゃることを見せてくださっています!
また、ハトのような鳥の形象の雲も出現しました!!

「天には栄光、地には平和」がモットーのチームに見せてくださった平和の象徴物ではないかと感じました!

さて、試合の結果はと言いますと…
0‐1で惜敗…
今年に入って初めて涙をのむ結果となりました…
1点が本当に遠く遠い試合でした…
満塁のチャンスを3度も作ったのですが点が入らず、残塁数が合計10を超える本当に惜しい試合となりました…

私は9番投手で出場、7回を投げて1失点、打っては2打数2安打1四球という結果でした。
2安打の内の1本がとても印象に残っています。
2アウトランナー1塁、ボテボテのサードゴロを打ったのですが、最後まで諦めずに全力疾走して内野安打!
何とかして1点を取りたい、何としても後ろに繋ぎたいと思い、主神様を切実に呼びながら掴んだ安打でした!
打った瞬間、凡打と分かりましたが、しかし!アウトとコールされるまで・最後まで必死にプレーすることでやはり何かが起ったわけです!!
サードが瞬間握り損ねて間一髪セーフとなりました!

得点できそうだった場面も正直ありました。
2アウトランナー2塁でセカンドフライが上がりました。
2塁ランナーだった彼はアウトだろうと思い、全力疾走していませんでした。
そうしたら、セカンドがフライを落したわけです…
結果3塁でストップ…
野球に「たら・れば」は禁物ですが、最後まで全力疾走していたならば点は入っていたことでしょう…

「最後までやること」がどれだけ大事なのか、2つのプレーを通じて痛切に感じました。
試合自体はもちろん、一つひとつのプレーにおいても「最後までやること」によって結果が変わってきます。
チョンミョンソク牧師先生も「最後までやること」がどれほど大事なのか、「最後まで」という歌まで作詞作曲されるほどに声を大にして説いてくださいます。

野球に限らず、全ての物事に取り組む上で、この「最後までやること」さえ上手くやるだけでも多くの成功を収めていけると思います。
今後の試合においては、「最後までやること」をチーム内で今一度徹底していきたいです。

野球の試合は準備で決着がついてしまう?!

5月、冬の寒さはやわらぎ、夏の猛暑を前に、野球を最高にしやすいシーズンがやってきました!
そんな中、今日は、野球の試合で大切な「準備」について書きたいと思います。

皆さんは「準備」と聞くと何を一番最初に思い浮かべますか?
おそらくは準備運動、ウォーミングアップを思い浮かべるのではないでしょうか?
ウォーミングアップをせずに試合に臨む人は皆無です。
草野球の老練な方々でも、屈伸一つせず、キャッチボールの一球をせずに野球の試合に入っていく人はいないと思います。

必ず何らかの準備をしなければ、自分の本来持っている力を発揮し得ないでしょう。
しかし、その準備をどれだけ根詰めてやっているかどうかは、人によって差があります。
皆さんは、野球の試合を前にして、どんな準備をしていますか?

私は前日に野球道具やユニフォームなど試合当日に必要なものは準備します。
グローブの紐やバットのグリップテープなどの消耗度合いは1週間前には確認しておきます。そうしなければ交換する時間がなくなるからです。
練習に関してはもちろん、長い時間・期間をかけて準備して試合に臨みます。

グリップテープを交換したバット

この記事のタイトルをご覧になった時、少し大げさだと思われた方もいるかもしれません。
しかし、準備がそれだけ大事だということであり、準備が出来ていなければ試合にならないということはご理解いただけると思います。

さて、聖書「マタイによる福音書」の25章には10人のおとめの話が出てきます。
思慮深い5人は油を用意し花婿を迎え、思慮の浅い5人は油を用意していなかったため油を買いに出ている間に花婿が到着し、迎えることができなかったとあります。
準備に関するとても深い御言葉です。
これは信仰に関しても、野球に関しても、人生様々なことに関しても共通することだと思っています。
思慮深く、何が必要かを考え、前もって準備する人が成功を手にすることでしょう。

野球の試合を前にして、自分がどれだけ準備をしているのか、この記事を読んで振り返る機会にしていただけると幸いです。

今週末には私も試合があります。
しっかり準備して臨めたらと思います。

初めの心を忘れるな

先日、第三子が誕生した。
ありがたいことに、多くの方々より、お祝いのメッセージを頂いた。
そんなメッセージと共に非常に意味深い話をしてくださった方(40代、お子様が小学生で野球をされている方)がいらっしゃったので紹介したい。

「母子共に健康であることが一番!そう願って出産を待ち、実際に母子共に健康で出産を終えられることが出来たならば、もうそれが最高に幸せなことだと考えていたことを思い出します。しかし、いつしか子どもが大きくなり、歳月が流れて、色んなことをやり出すようになって、子どもに求めるモノが多くなったように思います。最初は健康で生まれて来て、元気に育ってくれたら何だって良い!と思っていたのに…
勉強ができなかろうが、野球が下手だろうが、それはそれで、今元気に生きているのだから、それが一番ですよね!」

この話を聞いて、自分自身を省みた。
生まれて来てくれて、元気で生きてくれていることが最高に幸せなことだと思えているのか…
そもそも、まずは自分自身がこの世に生まれ、元気で生きていることが最高に幸せなことだと思えているのか…
また、人は神様の導きなしに、この世に生を受け、今現在存在することができない。
神様に自分の命が今あることをどれだけ感謝できていたのか…

チョンミョンソク牧師はいつも「初めの心を忘れるな」とおっしゃる。
出産時、母子共に健康であることを幾度も神様に祈り求め、実際に母子共に健康で無事に出産を終え、元気に今生きている!ということを心にとめ、忘れることなく感謝して生きていきたい。