努力は報われる!

努力は報われる?

夏の風物詩「甲子園」が迫ってきた。

甲子園を楽しみにしている多くのファンにとっては鼓動の高鳴りを感じていることだろう。

今年も高校球児たちの白球を追う姿は多くの人たちに感動を与えることを期待している。

 

皮肉なものでこの夏を「勝利」で締めくくることのできる高校は全国でたったの1校、優勝した高校だけ…

「勝・負」にすべての基準を置いてしまうと、「努力が報われる」高校はたったの1校という悲劇…

 

ちなみに私の高校野球の最後の夏は県大会の決勝で負け…

ひたすら甲子園に出ることだけを考えて過ごしてきた高校3年間であったがゆえに、

今まで努力してきたことが全部無駄だったと考え、ひどく失望した…

私は命がけで練習毎にバッティングピッチャーを務めていたのが、
ベンチ入りを果たすことができず、報われなかったという思いが一際強かった…

 

 

行なった通りに報いてくださる神様

野球はベンチ入りの人数・試合に出られる人数が決まっているため、
どれだけ努力したとしても試合に出られない・ベンチにすら入れない場合が当然ある。

その時の悔しさ、いたたまれなさは言葉では表現できない…
特に一生懸命に努力した人にとっては…

 

私は極度の虚しさを感じていた…
「自分のことを分かってくれる人はこの世の中には一人もいない」とまで考えることもあった…

 

しかし、摂理に来て、その虚しさは解かれるようになった!
自分の労苦が絶対に無駄にならないところ、それが摂理。

 

私は毎日野球場に足を運んでお祈りをした。
その際「こうして毎日野球場に足を運んでお祈りしているけれども、本当に意味があるのだろうか?神様は聞いてくださっているのだろうか?」と疑問に思った。

続けて100日間、毎日お祈りを野球場で続けた。
すると、神様が万物を通して応えてくださった。

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写真では小さいが、ハートマークの形をした雲を見つけた。

「あなたの行ないを愛で見ている」という神様の啓示だった。

< マタイによる福音書6章4節>
隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

 

「正直者が馬鹿を見る」という言葉があるが、
このようなことが実際にはあり得るのが現状…

 

しかし、摂理では絶対にそういうことはない。
神様に対して行なったことはいつか何らかの形で神様が報いてくださる。

 

自分の努力が報われなくて無念な思いを経験している人がいるならば、摂理に来てみてほしい。
その努力が絶対に無駄にはならないことを感じるだろう。

野球場の掃除

今日は少年野球や草野球で使用される野球場に足を運んで掃除をした。

baseball

残念なことに、公共の野球場はあまりきれいではない…
タバコの吸い殻、空き缶、ペットボトルなどが落ちている…

皆が気分よく使用することができるように、
最低限のマナーを守ることが大切なのではないだろうか…

 

これは私の切なる願いなのだが…

 

野球場でタバコを吸う行為を無くしたい…

 

プロ野球の試合中継でタバコを吸っている選手の姿が映って問題になったことが以前あった。
野球というスポーツの品格は野球をしている人たちが作り、守っていかなければならないと思う。

 

私は野球選手たちの「矜持」は何なのか?と絶えず問う。
矜持(きょうじ):自分の能力を優れたものとして誇る気持ち。自負。プライド。(デジタル大辞泉)

私は野球というスポーツは自分自身を律する心を育むスポーツだと思う。

 

野球場の掃除をしながらそんなことを考えた。

先生はすべての環境は神様がくださったとおっしゃり、感謝して、きれいに掃除なさり、使用なさる。

神様に感謝しなさい。
人がしてくれたことでも神様に感謝しなさい。
神様がその人に命じてしてくださった。

野球場も神様が与えてくださったと思い、感謝して、もっと大切にしたい。

力の源(みなもと)

人は生きていく中で様々なことに遭遇するのだが、
その際に必要とされるのモノは「力」。

体力、精神力、忍耐力、集中力、行動力、コミュニケーション能力、etc…

この世を生き抜くためには様々な「力」が必要とされる。

 

さて、この「力」はどこから来るのか?
何かがあるわけでもないが湧き出てくる「力」という存在とはいかなるモノなのか…

<詩篇28篇7節>
主はわが力、わが盾。わたしの心は主に寄り頼む。

 

以前、ある力士がテレビでコメントをしていた。

力というものは神様からの預かりもの。
精一杯使い切って時が来るとまた神様に返すもの。
本当に神様に感謝ですね。
この力を与えてくれて。

この力士のコメントが真理かどうかの議論はさておき、
私も神様から本当に多くの「力」を受けている。
空が飛べるようになったり、いきなり英語が話せるようになったりしたわけではない。
冒頭の御言葉の通り、心の頼みとするところが神様だということ。

ある人は家族や恋人から応援してもらうことが「力」になることもあるだろう。
ある人は自分の中に成し遂げたい目標があって、その目標に向かう自分の思いから「力」が来るだろう。
私は御言葉を学びながら神様について知り、学び、心の頼みを神様におくようになった。
力の源が何なのか?と問われたら、私は自信をもって神様だと応えたい。